データサイエンティストの憂鬱と退屈
お久しぶりです、サボってました
前回書いた記事
の予想外のPVに満足(補足する必要すらないと思うけど、たいした数じゃないし当然自己満)して、その後サボり続けた。少し前に50回以上続く由緒正しき勉強会 データマイニング+WEB @東京 、通称Tokyo Webminingで、同じようなテーマで発表したので*1、今日はそれを掘り下げて書いてみる。ちなみにTokyo Webminingで使った資料は、我ながらよくまとまっていると思っている(当然こちらも自己満)。
もちろん、この「憂鬱」と「退屈」の解決法も同時に提案できれば素晴らしいんだけれど、この手の問題は「相手に理解してもらうこと」自体が解決に向けての小さいけれど大きな一歩、だと僕は信じている。
はじめに:「データサイエンティスト」について
この呼び方が一般的なのかどうかよくわからないし、僕自身はもうそうではない(でも、隣で仕事をしていた人は多分そうだ)。ただ、一般社団法人 データサイエンティスト協会っていう協会*2があるくらいだから、ある程度認知はされているだろう。このエントリでは単に「データ分析を生業にする人」という意味でこの言葉を使う。
当然、データサイエンティストの仕事は以下に述べる憂鬱と退屈を補って余りある魅力とやりがいがあることを、まずはじめに断っておきたい。
データサイエンティストの憂鬱
勉強会でも触れたが、データサイエンティストは特に下記の点で日々憂鬱だ。
- 「顧客がほんとうに必要だったもの」が曖昧
- 「価値の進捗」が顧客から見えにくい
- 日本人は確率と統計に疎い
顧客がほんとうに必要だったもの
ニコニコ大百科の「顧客が本当に必要だったものとは 」がとても詳しいので、ここではかの有名なイラスト*3を貼っておくに留める。
何となく不自然な気もするが、システム開発において「要件定義 (Requirement Definition)」はエンジニア、つまり作る側の仕事だ(参考:要件定義とは: IT用語辞典)。すごく簡単に言えば「顧客が本当に必要な物」を定義する工程で、ある意味必ず失敗するのは上のイラストで察してもらえると思う。僕は、「できる限り手早く片付けて、致命的でない失敗する」ことが要件定義のキモだと考えている(もし間違ってたら、Twitterか何かで優しく教えて下さい)。
開発よりデータ分析でこの工程が憂鬱なのは、顧客からほとんど要件を説明されないことに起因する。開発の時は、少なくとも「作ってほしいもの」は顧客から説明される。一方でデータ分析の場合、少なくとも僕の知っている限りこんな感じだ。
- 売上(もしくはそれに類するKPI)を上げたい
- PDCAサイクルを回したい
最悪な場合
- データを見て何か提案して欲しい
という要件が来たりする(これを要件と呼んで良ければ、だが)。ちなみに、この「最悪な場合」は少なくない頻度で起こる。開発の時以上に、要件定義が辛く苦しい工程になるのは想像に難くないはずだ。
「価値の進捗」が顧客から見えにくい
顧客は、待つのが嫌いだ。逆に言えば、「すぐ価値が提供される」というのはそれだけで価値がある(例えばファストフードやAmazonの「お急ぎ便」がそうだ)。僕は学生時代、居酒屋でバイトしていたけれど、「お通し」の仕組みは本当に偉大だと思う。こいつのおかげで相当数のクレームが未然に防がれているはずだ。もちろん、“ファーストドリンク”は他の注文より優先して提供する。その点で、データ分析作業は宿命的なハンデを抱えている。
基本的にデータ分析は
- 要件定義
- データ収集・データ加工
- 分析
という工程を追う。1. が難しい話はすでに述べたが、2の「データ収集とデータ加工」も相当に厄介だ。簡単に言うと「レシートを集めて、家計簿をつける」作業なので、ただひたすらに面倒ということを除いても、以下の点で辛く苦しい工程なのはわかってもらえると思う。
- レシートを貰い忘れる、もしくは無くすリスクがつきまとう
- そもそも、「レシート」が貰えない場合がある
- 大抵、どこかで数値が合わなくなる
しかし、この工程の本当の憂鬱さは違うところにある。それは、「家計簿をつけただけではお金はたまらない」という周知の事実だ。データを集めて加工しているうちは、顧客に価値の進捗が見えない。
この間顧客は「待たされている」と感じるだろうし、分析している側も「待たせている」自覚があり、そのストレスに苛まれる。
日本人は確率と統計に疎い
「日本人は確率と統計に疎い」というのを、僕は常々思っていて、これには明確な理由がある。それは、高校後半まで習わない上、大学受験で捨てても良いからだ*4。データを分析したり、その結果を解釈したりするには
- 確率と確率分布
- 相関と因果の関係
を理解していることが必要だ(確率分布ついては、また近いうちに別エントリに書く。相関と因果についてはこちらに書いた。)。ところが、大学入学者選抜大学入試センター試験実施要項を見ればわかるように、
『数学Ⅱ・数学B』は,「数学Ⅱ」と「数学 B」を総合した出題範囲とする。 ただし,次に記す「数学B」の3 項目の内容 のうち,2 項目以上を学習した者に対応した出題とし,問題を選択解答させる。
[数列,ベクトル,確率分布と統計的な推測]
つまり、これらを扱うのは高校数学Ⅱ・Bの、しかも選択問題の範囲だ。学生でも数学Ⅱ・Bを得意とする人はそんなに多くないだろうし、そもそも数学Bをがっつり履修するのは、いわゆる進学校で、かつ理系に限られている気がする。
データ分析の顧客は文系の人の方が多いくらいなので、「正しく分析結果を伝える」には、少なくとも高校の数学を教える程度の手間は惜しめないことになる。
恥ずかしい話だが、僕も確率分布を明確に意識したのは、大学で機械学習を勉強したタイミングなので、この辺りの理解が曖昧な人がいることを攻める気は全く無い。学校で習う、ほとんどのサイコロの出る目は「同様に確からしい」のだ(当然ながら、現実はそんなに単純ではない)。
データサイエンティストの退屈
個人的に、データ分析はある意味で「退屈」な仕事だと思っている。僕はかつて、尊敬する先輩に
データ分析の価値は、その分析結果を元にした意思決定が創出する価値によって決まる
と教えられて、まさにそうだと思っている。手段こそ違えど、データサイエンティストの顧客が求めているのは、占い師のアドバイスとそれほど変わらない。
さて、人がデータ分析の結果を重要視するのはどんな場合だろうか?きっと
- 自分では答えを出せない、もしくは出したくない場合
- 自分の判断の正しさを客観的に示したい場合
- その意思決定が自分にとってそれほど重大ではない場合
のいずれか、もしくはその組み合わせだ。本当に「なんとなく」なんだけど、僕はこの「3」が結構重要なファクターじゃないかと思っていて、その意味でデータ分析は退屈だ。
意思決定において、ランキングとかレビューの星の数と言った「客観的なデータ」をどの程度重視するかは、興味とかこだわりに大きく左右される。音楽が好きな人はオリコンのチャートを追いかけないし、本当にコアな部分は、ABテストする時点ですでに決定している。物件選びで内見するのは、その意思決定が「データではない何か」を気にするくらい重大だからだろう。
誤解されたくないのでしつこいくらいしっかりに書くが、ここで言っている“重視”は、あくまでも「意思決定において、データをどの程度重視するか」という意味で、「そのデータで、意思決定がどれくらい正しいものになるか」ではない。
結局のところ、データ分析をありがたがってもらえるのは「顧客にとってそれほど重大ではないことが多い」というのが、僕の感じた、ちょっとした退屈だ。これは段々変わっていくのかもしれないし、変わっていって欲しい。
最後に
「そろそろ人前で歌いたいなー」と思っていた矢先に、飲放題付きで参加費3000円という、願ってもないイベントに誘われたので、ふらっと出ることにしましたw
- 日時:2016.04.22(金)
- 値段:¥1,000 + Drink (2D ¥1,000/飲み放題 ¥2,000)
- 場所:高円寺CLUB LINER
- その他:ローストビーフ丼とお菓子が食べれるらしい
金曜日なのでとりあえず飲み食いしたい人、早く帰る言い訳がほしい人お待ちしています。遊びに来てください。
では最後に、月曜日で憂鬱なみなさんにNew OrderのBlue Mondayをお送りいたします。今週も頑張りましょう。
*1:主催の方が丁寧なまとめ記を書いてくださっているので、興味がある方はそちらも是非目を通していただければと思う。
*2:この協会は、以下のようにデータサイエンティストのスキルセットを定義している。「データサイエンティストに求められるスキルセット」に”データサイエンス”という部分空間があるのは、個人的には解せない。
なお、完全に余談だが、下記のWebページのfaviconを設定してほしいとずっと思っている。
*3:調べたけれど、結局正確な出典が分からなかった。知っている方がいらっしゃったらTwitterか何かで教えて下さい。
*4:偉い人が今の入試制度をどう思っているか知らないが、僕が今でもきちんと覚えているのは、結局のところ受験の為に「詰め込んだ」科目ばかりだ。大学以降は一概にそうでもないが。
安保法改正とSEALDsに対する当たり障りない感想と、技術的負債の話
はじめに
このエントリの「当たり障りのなさ」を担保するために、以下のことを確認しておく。
このエントリの目的
このエントリの主眼は、あくまでもライブ告知だ。
- 10/18 18:00 op, 18:30 st @下北沢ラグーナ
- しゅう (@shoe116) までご連絡いただければ ¥1000(D 500別)で入れます
- 詳細は もしもしセカイ — schedule をご確認ください
これが伝えられれば、とりあえず満足だ。
安全保障関連法案と、このタイミングについて
正直な話、僕は「こうするべきだと思う」という意見を論理的に発信できるほどちゃんと理解していないので、法案が通るまでこのテーマでBlogを書くのを保留していた。でも、今回の”騒動”はそんな無知なWebエンジニアから見ても興味深いことがいっぱいあったので、今更感があるのを自覚しながら以下の2つの観点でBlogを書いてみる。
- 一連のゴタゴタと、いわゆる「技術的負債」の関係
- SEALDsに対する共感とデモに対する違和感について
法案が国会を通過して一週間も経って、大学生の夏休みも終わって、しかも福山雅治が結婚した今なら、もう当たり障りもないだろう。
一連のゴタゴタと「技術的負債」の話
技術的負債 (Technical debt)という言葉を聞いたことがある人はどれくらいいるのだろう?Martin Fowlerという人の"TechnicalDebt"という解説がわかりやすくて好きなんだけれど、当然英語で書かれている。恥ずかしいことに僕は英語がそれほど得意ではないのだが、Martin Fowler's Bliki (ja)という、有志の方々による素敵な日本語訳がGitHubにあるので、その該当ページ「技術的負債」からありがたく引用させていただく。
システムに新しい機能を追加するとしよう。2つのやり方があるはずだ。ひとつは、早いけれど、ぐちゃぐちゃになるやり方(将来、変更が困難になることは分かっているよね)。もうひとつは、キレイな設計だけど、導入に時間のかかるやり方。
「技術的負債」とは、Ward Cunningham が作ったメタファーである。上記の問題について考える際に、この言葉が役に立つ。このメタファーを使うと、早いけれど汚い解決方法は(ファイナンスの負債と同じく)技術的な負債が発生する、ということになる。 通常の負債と同じく、こちらの負債も利子を払う必要がでてくる。 早いけれど汚い設計を選んだせいで、将来の開発において余分な労力をさかねばならなくなる、というわけだ。 これからずっと利子を払いつづけていくことも可能だし、 リファクタリングによって良い設計に修正し、元本を減らしてしまうということも可能だ。 もちろん元本を減らすのにはコストがかかる。
憲法9条と安全保障なんて技術的負債そのものだ。「キレイな設計」、つまり憲法改正をしないで自衛隊を作ったせいで、それ以後の安全保障周りの機能拡張には常に「余計な労力」を割く羽目になっている。もちろんリファクタリング(憲法改正)によって元本を減らすことも選択肢の一つだが、それには膨大なコストがかかる。今の日本にそのコストが払えるかどうか、僕にはわからないけれど。
誤解してほしくないのは、はじめに「キレイな設計」をしなかったのが悪いと言っているわけじゃないということだ。技術的負債より、リリースまでのスピードを優先しなければならない案件なんて腐るほどあるわけで、多分日本の安全保障はずっとそうだったんだと思う。
もちろん、そんなやり方を繰り返して拡張してきたシステムの可読性は下がるばかりなので、「今となっては、ちゃんとは誰も把握しきれていないけれど、とりあえず(少なくとも致命的な)問題なく運用出来ている」という状態が出来上がる。一度こうなってしまうと、システムのメンテナンスできる人は限られてくる。憲法9条の元で集団的自衛権の議論とか立法ができるなんて、僕の理解が及ぶところではないし、当然どれだけ説明されてもわからない。だって、可読性が低すぎるんだもん。
しつこいようだが、僕はそれが一概に悪いとは思っていない。「速度を優先する」という選択を繰り返してきたシステムが、適切なタイミングでリリースされ、ちゃんと売上に貢献しているのを僕は何度も見てきた。
SEALDsの共感とデモへの違和感について
別に僕はSEALDsの主張やデモという表現手法に対して、正しいとか間違ってるとか、素晴らしいとか頭が悪いとか言いたいわけではなく、あくまでも僕が個人的に感じたことを書く。
SEALDsに対する共感
安全保障の問題は、法治国家である日本国における技術的負債だ、ということはすでに述べた。これは、SEALDsのWebページ冒頭の
私たちは、戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。そして、その基盤である日本国憲法のもつ価値を守りたいと考えています。この国の平和憲法の理念は、いまだ達成されていない未完のプロジェクトです。
というメッセージと矛盾しない。これはそのまま、日本の平和憲法の理念には「70年分の技術的負債がある」ということだ。先人たちは、「アメリカが日本の武力解除を目的として作った平和憲法の元で、そのアメリカと事実上の軍事同盟を結ぶ自衛隊を持ち、なおかつ民主主義を維持する」という信じられないようなプロジェクト運営を行ってきた(書いていて、これぞhack!という感じがする。きっとどのhackathonに出ても優勝だ)。
僕は、今回の彼らの主張は
- わかりにくすぎる、ちゃんと説明しろ
- なんでお前らだけで決めるんだ、本当に必要なのか?
- 改正するリスクが大きすぎる
だと理解していて、これについてはもうそのとおりだ。僕も、何度も思ったことがある。
- 設計もコードもカオス過ぎる。1から書き直したい、時間ないけど。
- これに機能追加するの?無理矢理過ぎる、なんで今更?
- デグレのテスト不十分だから、事故っても知らないよ・・・
技術的負債を目の当たりにした人の、至極真っ当な感情だ。
デモに対する違和感
その一方で、デモを見るたびになんとも言えない違和感を感じる。軽蔑や嫌悪感と言ってもいいかも知れない。別にこれはSEALDsに関してだけではないし、そのデモの主張に自分が賛成か反対か、ということもほとんど関係しない、「デモ」という表現方法そのものの話だ。この理由がイマイチ自分でもはっきりしていなかったんだけれど、この違和感はどうやら「デモの主張が、僕にはわかりやすすぎる」ということに起因しているようだ。
以前「エンジニアが日々何を考えているか、ということ」というBlogでも書いたけれど、『ソフトウェアアーキテクトが知るべき97のこと』という有名なエッセイ集*1のなかに
というニール・フォードさんのエントリがあって、僕はこれを座右の銘としてエンジニアをしている。
どう考えても「平和憲法の元で、自衛権の話をする」と言うのは本質的な複雑さだ。もちろん、できる限り単純にしたいところだが、前述の通り技術的負債のためにそれも相当に難しい。しかし、だからといって「本質的な複雑さ」を付随的な複雑さとして取り除くのは本末転倒だ。大勢で「戦争法案反対!」と叫ぶ姿は、その本質的な複雑ささえ取り除いてしまっているように、少なくとも僕には見える。「TPP反対!」も「原発反対!」もそうだ。どの主張も、解決すべき問題の複雑さに比べてあまりにも単純で、わかりやすすぎる。これが僕がデモに対して抱く違和感の正体だ。
この過度な単純さは、おそらくデモという表現手法の制約だ。みんなで集まって効果的にメッセージを発信するには、内容は出来る限りシンボリックな、単純化されたものにするしかない。本質的であろうが付随的であろうが、複雑さはすべて取り除く。考えてみれば、ほとんどのデモの主張は「OO反対!」なわけで、逆に言えば「建設的な対案を論理的に主張する」みたいなことは、デモでは難しいということなのだろう。
結局何が言いたかったか
はじめに書いたとおり、これはライブ告知*2を目的とした「技術的負債に苦しんだことのあるエンジニアの当たり障りのない感想文」で、それ以上でもそれ以下でもない。
そういえば敬愛するGreen Dayのビリー隊長がlive "Bullet In A Bible" のholidayのイントロで叫んでいた
This song is not anti-American, its anti-war.
という言葉をふと思い出したので、そのlive動画を貼ってそれで終わりにしようと思う。
ではでは10/18、お暇でしたら是非下北沢まで遊びに来てください!
*1:
CC-by-3.0-USというcreative commonsライセンスに準拠して、webでも読める。エンジニアじゃなくても楽しめると思うし、エンジニアが如何にエモい人種かが垣間見えると思う。
xn--97-273ae6a4irb6e2h2ia0cn0g4a2txf4ah5wo4af612j.com
*2:
ライブ詳細
学生時代の友人のギタリスト・現フィドラーのkatsu氏も一緒に出てくれます。
- 日時:10/18 (sun) 18:00 op, 18:30 st
- 場所:下北沢ラグーナ (DaisyBarの1階)
- 費用:しゅう (@shoe116) までご連絡いただければ ¥1000(D 500別)
-
この前のライブ音源がsoundcloudで聞けます
詳細は もしもし世界? — schedule をご確認ください
アイドルとTOと神と預言者、そしてアンバサダーマーケティングについて
注) このエントリは、ライブ告知です。アイドルやwebマーケティングに興味がない人は、一番下のライブ告知(10/18 sun, 18:00 -)だけ読んでくれれば良いです。
はじめに、簡単な言い訳
僕は「色々やってるインターネットの会社」で、プログラミングしたり、データ分析をしたりして生計を立てている(色々具合だけでいったら、相当上位だと思う)。その色々の中に、アイドル関連のお仕事(正確には、動画サイトであってアイドルには限らない)もあって、どこでどうなったのか、全然関係ないはずの僕のところに、簡単な相談が来るようになった。で、その際にノリでした「アイドルとTO(後述)と神と預言者の関係」「TOとアンバサダーマーケティングについて」という話が会社の人に結構評判が良かったこともあって、せっかくなのでここにまとめておこうと思う。先に言い訳しておくと、僕はエンジニアだしデータサイエンティストだから、本当にアイドルやマーケティングに詳しい人はこの文章の間違いは寛大に見逃すか、優しく僕 (@shoe116) まで連絡をくれたら嬉しい。
アイドルとそのファンについて
アイドルとそのファン(以下敬意を持ってヲタと表記する。昔は親衛隊といったらしい)は「互いに承認欲求を満たしあう、非常に都合の良い擬似的な恋愛関係にある」ということは、過去の当ブログのエントリ「ニセモノノコイガシタイ (アイドル現場とデール・カーネギーの密接な関係) 」で述べたとおりだ。残酷なまでに単純化すると
- 無条件にチヤホヤして欲しいアイドル
- 「いつもありがとう」といってもらいたいヲタ
の関係だ。
僕は行ったことないけど、マンガやドラマで見る限りキャバクラも似たようなものだと思う。このことは、別に僕だけが気づいているわけではない。FoggのCHEERZ、DeNAのSHOWROOM、DMMのyellはどれも「承認欲求」に着目したソーシャルゲームだ。「1つも知らねーよw」という人も多いと思うので、DEEPGIRLましろさんの味わい深いつぶやきを引用しておく。
昨日話したばっかりだけどちゃんとみんな実行してくれて本当嬉しい😭❤️❤️いつもcheerしてくれてるみなさんありがとうございます😢💖💖 pic.twitter.com/78LCtgheq6
— 涼川ましろ♡DEEPGIRL (@mashilo_) 2015, 9月 7
アイドルは、ヲタからのcheerで常時ランキングされる。当然、承認欲求から彼女たちは上を上を目指す。ヲタはヲタで、そのアイドルにどれだけcheerしたかでランキングされる。アイドルからの承認を求め、ヲタもcheerに勤しむ。
勘のいい人は気づくと思う。そう、たくさん"cheer"するために、ヲタは相当額の課金が必要だ。 サービス運営側が過度なプロモーションをかけなくても、プレイヤーであるはずのアイドル側が自主的に「もっと課金してほしい」とヲタに呼びかける。本当に良くできたソーシャルゲームだ。なお、SHOWROOMについてもとてもわかりやすい事案を見つけたのだが、あまりに生々しくて直接引用することが躊躇われる。興味があったらこちらをご覧いただきたい。
アイドルとTOに見る神と預言者の関係
ヲタクの中に、"TO"と呼ばれる人が存在することを知っている人は、どれくらいいるのだろうか。「トップヲタ」、略してTOだ(ちなみに日本が誇る集合知、Yahoo!知恵袋にはトップオタに関するQ&Aが存在する)。
TOを理解するには、アイドル-ヲタ界隈の構造を知る必要があるが、言葉だけで説明するのは困難なので、下記のようなイメージ図を用意した(「運営」については省略)。 あくまでも説明のためのイメージ図だ。あくまでも。
SNSが隆盛を迎えている現在でも、アイドルが全てのヲタと直接的なコミュニケーションをとることは困難である(そんなことをしていたら、リプ返している間に日が暮れてしまう)。一般に、アイドルとヲタのコミュニケーション基盤たるTwitterでも、ファン層の拡大とともに「リプは1日1回」「リプは気まぐれ」「リプ出来なくてごめんね」という状態遷移をたどる*1。しかし、アイドルとヲタの活動には
- コールやミックスの作成と布教
- 生誕祭やオフ会等のヲタの有志が主導するイベント
- ライブの情報拡散や集客
等、「アイドル(神)とヲタ(信者)が協力して行うべき神事」が多くある。 特に生誕祭の成功には、界隈の威信がかかるため、有志の「生誕委員」による入念な準備とアイドル側との綿密なコミュニケーションが必要になる*2。そこで、登場するのが「預言者たるTOの存在」である。預言者は神の言葉を聴き、皆に広める。必要があれば神に問い、その答えを皆に伝える。このTOがハブとなり、アイドルを中心としたコミュニティが成長していくのである*3。
アイドル現場で見られる「誰が考えたんだよw」という手の込んだ、それでいて一糸乱れぬコールやミックス、「誰がどうやって運営してんの?」という規模のファン有志企画の影には、TOとその側近界隈の、有力かつ有名な少数精鋭ヲタの大きな貢献があるのだ。
ここで、聖書の一説を引用したい。
あなたがた(教会)は使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。
(2:20)
これはそのまま、以下のように置き換えることが出来るだろう。
あなたがた(ファン)はTOとその直属の界隈という土台の上に立てられており、アイドルご自身がその礎石です。
しかし、TOの負担は小さくない。スケジュール調整や企画運営、こまごまとした連絡、界隈間のトラブルの仲裁・・・。当然、彼らはそれらを無償で、自らの意思で行う。なぜ、アイドル現場ではそんなTOが湧き出てくるのだろうか。
TOの資質と権威、そしてアンバサダーマーケティングについて
自分で、問題を提起しておいてなんだが、もう皆さん分かっていると思う。そう、承認欲求だ。TOには、下記の2つの資質が求められる。
- アイドルによる、「この人が1番私を応援してくれている」という承認
- ヲタ界隈による、「この人が1番彼女を応援している」という承認
この2つの承認を得るために、預言者たるTOは身を粉にしてライブに通い、そして神の言葉を聴き、それを皆に伝える。より信仰が広まるように、そしてより完成度の高い神事のために尽力するのだ。
"TO"のような、承認欲求を利用したマーケティング手法に、「アンバサダーマーケティング*4」がある。「FacebookやTwitterに代表されるSNSの台頭によって、Webマーケティングは新しい時代に突入した。アンバサダーマーケティングである。」的な文章を見たことがある方もいるかもしれない(ちなみに、Webマーケティングは、プロ野球のドラフトにおける「10年に1人の逸材」やハリウッド映画で「全米が泣く」のと同じくらいの頻度で「新時代に突入」していると個人的に思っている)。
アンバサダーマーケティングについて、京井良彦 (@kyoi_y) さんの、アンバサダーにお金をあげないで! というアドタイのエントリを少し長文で引用させていただく。
(前略)
アンバサダーマーケティングとは、自社ブランドのファンを「大使」として任命することで、口コミなどでその評判を広めてもらえることを期待するものです。(中略)
アンバサダープログラムで大事なことは、金銭的なインセンティブを付与しないことです。 例えば、料理レシピのクックパッドは、金銭的なインセンティブがなかったからこそ成長したことで有名です。 クックパッドのユーザーは、基本的に他のユーザーから評価されることが、レシピ投稿のモチベーションになっています。 それによって、質の高いレシピが集まり続けているわけです。 もしここにポイントプログラムのような金銭的インセンティブをつけてしまうと、ポイント目当てに何でもかんでも投稿するユーザーが増えて、投稿レシピの質が下がってしまいます。 ユーザーが欲しいのは、お金ではなく評価なのです。
そして、最後のようにまとめられてる。
お金より評価や誇り。
こういったモチベーションは、人間だけが持つものです。
アンバサダーという「人を起点としたマーケティング」への取り組みは、こういったことを理解することから始まるのだと思います。
長くなってしまったので、僕もこのブログを以下のように結論付けたい。
- アイドルを語る際、承認欲求は重要な要素であり、それに注目したwebサービスも複数存在する
- アイドル(神)とヲタ(信者)をつなぐTO(預言者)が存在する
- TOの仕組みは、アンバサダーマーケティングのそれとほぼ等価である
最後に、僕の承認欲求の話(ライブ告知)
ライブします!僕と学生時代に一緒にギターを弾いたり歌ったり、研究してくれたりした愛知在住のフォークシンガー/フィドラー カツ氏が東京まで応援に来てくれます。
お暇な方、是非遊びに来てください!
詳細
- 日時:10/18 (sun) 18:00 op, 18:30 st
- 場所:下北沢ラグーナ (DaisyBarの1階)です
- 費用:事前にとり置きの連絡いただければ、1000円 + ドリンク500円
- 出演:しゅう、たかみや"dragon"りゅうすけ、杉田慧、宮元さゆり、吉川亮毅
僕の出演はトップバッター、18:30 - です。よろしくお願いします。
注釈等:
*1:
たとえば、でんぱ組.incのセンター古川未鈴さんのtwitterには現在も「レスできなくてごめんね!」の文字が残る。
*2:たとえば、でんぱ組.incの最上もがさんの生誕企画は、でんぱ組.incとそのファンコミュニティが大きくなった現在も有志のヲタにより企画・運営されており、以下のようなtwitterアカウントが存在する。なお、本人たちのエゴサーチにかからないように、鍵付きで運用されている。
*3:ちなみに、新旧預言者の関係や考え方の相違によって、時として周囲を巻き込んだ非常に面倒なイザコザに発展するのもTOと預言者の共通点だが、今回は触れないことにする
*4:
話を簡単にするために、この文章ではアドボケイター(Advocate)とアンバサダー(Ambassador)を区別せず、「アンバサダー」と呼ぶことにする。