きっと、ずっと、会議は踊る

エンジニアリングとアイドルとロックンロール

-- しゅう (@shoe116) の徒然なる物思い --

データサイエンティストの憂鬱と退屈

お久しぶりです、サボってました

前回書いた記事

shoe116.hatenablog.com

 の予想外のPVに満足(補足する必要すらないと思うけど、たいした数じゃないし当然自己満)して、その後サボり続けた。少し前に50回以上続く由緒正しき勉強会 データマイニング+WEB @東京 、通称Tokyo Webminingで、同じようなテーマで発表したので*1、今日はそれを掘り下げて書いてみる。ちなみにTokyo Webminingで使った資料は、我ながらよくまとまっていると思っている(当然こちらも自己満)。

www.slideshare.net

もちろん、この「憂鬱」と「退屈」の解決法も同時に提案できれば素晴らしいんだけれど、この手の問題は「相手に理解してもらうこと」自体が解決に向けての小さいけれど大きな一歩、だと僕は信じている。

はじめに:「データサイエンティスト」について

この呼び方が一般的なのかどうかよくわからないし、僕自身はもうそうではない(でも、隣で仕事をしていた人は多分そうだ)。ただ、一般社団法人 データサイエンティスト協会っていう協会*2があるくらいだから、ある程度認知はされているだろう。このエントリでは単に「データ分析を生業にする人」という意味でこの言葉を使う。

当然、データサイエンティストの仕事は以下に述べる憂鬱と退屈を補って余りある魅力とやりがいがあることを、まずはじめに断っておきたい。

データサイエンティストの憂鬱

勉強会でも触れたが、データサイエンティストは特に下記の点で日々憂鬱だ。

  • 「顧客がほんとうに必要だったもの」が曖昧
  • 「価値の進捗」が顧客から見えにくい
  • 日本人は確率と統計に疎い

顧客がほんとうに必要だったもの

ニコニコ大百科の「顧客が本当に必要だったものとは 」がとても詳しいので、ここではかの有名なイラスト*3を貼っておくに留める。

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何となく不自然な気もするが、システム開発において「要件定義 (Requirement Definition)」はエンジニア、つまり作る側の仕事だ(参考:要件定義とは: IT用語辞典)。すごく簡単に言えば「顧客が本当に必要な物」を定義する工程で、ある意味必ず失敗するのは上のイラストで察してもらえると思う。僕は、「できる限り手早く片付けて、致命的でない失敗する」ことが要件定義のキモだと考えている(もし間違ってたら、Twitterか何かで優しく教えて下さい)。

開発よりデータ分析でこの工程が憂鬱なのは、顧客からほとんど要件を説明されないことに起因する。開発の時は、少なくとも「作ってほしいもの」は顧客から説明される。一方でデータ分析の場合、少なくとも僕の知っている限りこんな感じだ。

  • 売上(もしくはそれに類するKPI)を上げたい
  • PDCAサイクルを回したい

最悪な場合

  • データを見て何か提案して欲しい

という要件が来たりする(これを要件と呼んで良ければ、だが)。ちなみに、この「最悪な場合」は少なくない頻度で起こる。開発の時以上に、要件定義が辛く苦しい工程になるのは想像に難くないはずだ。

「価値の進捗」が顧客から見えにくい

顧客は、待つのが嫌いだ。逆に言えば、「すぐ価値が提供される」というのはそれだけで価値がある(例えばファストフードやAmazonの「お急ぎ便」がそうだ)。僕は学生時代、居酒屋でバイトしていたけれど、「お通し」の仕組みは本当に偉大だと思う。こいつのおかげで相当数のクレームが未然に防がれているはずだ。もちろん、“ファーストドリンク”は他の注文より優先して提供する。その点で、データ分析作業は宿命的なハンデを抱えている。

基本的にデータ分析は

  1. 要件定義
  2. データ収集・データ加工
  3. 分析

という工程を追う。1. が難しい話はすでに述べたが、2の「データ収集とデータ加工」も相当に厄介だ。簡単に言うと「レシートを集めて、家計簿をつける」作業なので、ただひたすらに面倒ということを除いても、以下の点で辛く苦しい工程なのはわかってもらえると思う。

  • レシートを貰い忘れる、もしくは無くすリスクがつきまとう
  • そもそも、「レシート」が貰えない場合がある
  • 大抵、どこかで数値が合わなくなる

しかし、この工程の本当の憂鬱さは違うところにある。それは、「家計簿をつけただけではお金はたまらない」という周知の事実だ。データを集めて加工しているうちは、顧客に価値の進捗が見えない。

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この間顧客は「待たされている」と感じるだろうし、分析している側も「待たせている」自覚があり、そのストレスに苛まれる。

 日本人は確率と統計に疎い

「日本人は確率と統計に疎い」というのを、僕は常々思っていて、これには明確な理由がある。それは、高校後半まで習わない上、大学受験で捨てても良いからだ*4。データを分析したり、その結果を解釈したりするには

  • 確率と確率分布
  • 相関と因果の関係

を理解していることが必要だ(確率分布ついては、また近いうちに別エントリに書く。相関と因果についてはこちらに書いた。)。ところが、大学入学者選抜大学入試センター試験実施要項を見ればわかるように、

『数学Ⅱ・数学B』は,「数学Ⅱ」と「数学 B」を総合した出題範囲とする。 ただし,次に記す「数学B」の3 項目の内容 のうち,2 項目以上を学習した者に対応した出題とし,問題を選択解答させる。

[数列,ベクトル,確率分布と統計的な推測]

 つまり、これらを扱うのは高校数学Ⅱ・Bの、しかも選択問題の範囲だ。学生でも数学Ⅱ・Bを得意とする人はそんなに多くないだろうし、そもそも数学Bをがっつり履修するのは、いわゆる進学校で、かつ理系に限られている気がする。

データ分析の顧客は文系の人の方が多いくらいなので、「正しく分析結果を伝える」には、少なくとも高校の数学を教える程度の手間は惜しめないことになる。

恥ずかしい話だが、僕も確率分布を明確に意識したのは、大学で機械学習を勉強したタイミングなので、この辺りの理解が曖昧な人がいることを攻める気は全く無い。学校で習う、ほとんどのサイコロの出る目は「同様に確からしい」のだ(当然ながら、現実はそんなに単純ではない)。

データサイエンティストの退屈

個人的に、データ分析はある意味で「退屈」な仕事だと思っている。僕はかつて、尊敬する先輩に

データ分析の価値は、その分析結果を元にした意思決定が創出する価値によって決まる 

 と教えられて、まさにそうだと思っている。手段こそ違えど、データサイエンティストの顧客が求めているのは、占い師のアドバイスとそれほど変わらない。

さて、人がデータ分析の結果を重要視するのはどんな場合だろうか?きっと

  1. 自分では答えを出せない、もしくは出したくない場合
  2. 自分の判断の正しさを客観的に示したい場合
  3. その意思決定が自分にとってそれほど重大ではない場合

のいずれか、もしくはその組み合わせだ。本当に「なんとなく」なんだけど、僕はこの「3」が結構重要なファクターじゃないかと思っていて、その意味でデータ分析は退屈だ。

意思決定において、ランキングとかレビューの星の数と言った「客観的なデータ」をどの程度重視するかは、興味とかこだわりに大きく左右される。音楽が好きな人はオリコンのチャートを追いかけないし、本当にコアな部分は、ABテストする時点ですでに決定している。物件選びで内見するのは、その意思決定が「データではない何か」を気にするくらい重大だからだろう。

誤解されたくないのでしつこいくらいしっかりに書くが、ここで言っている“重視”は、あくまでも「意思決定において、データをどの程度重視するか」という意味で、「そのデータで、意思決定がどれくらい正しいものになるか」ではない。

結局のところ、データ分析をありがたがってもらえるのは「顧客にとってそれほど重大ではないことが多い」というのが、僕の感じた、ちょっとした退屈だ。これは段々変わっていくのかもしれないし、変わっていって欲しい。

最後に

「そろそろ人前で歌いたいなー」と思っていた矢先に、飲放題付きで参加費3000円という、願ってもないイベントに誘われたので、ふらっと出ることにしましたw

  • 日時:2016.04.22(金) 
  • 値段:¥1,000 + Drink (2D ¥1,000/飲み放題 ¥2,000)
  • 場所:高円寺CLUB LINER
  • その他:ローストビーフ丼とお菓子が食べれるらしい

金曜日なのでとりあえず飲み食いしたい人、早く帰る言い訳がほしい人お待ちしています。遊びに来てください。

 では最後に、月曜日で憂鬱なみなさんにNew OrderのBlue Mondayをお送りいたします。今週も頑張りましょう。

www.youtube.com

*1:主催の方が丁寧なまとめ記を書いてくださっているので、興味がある方はそちらも是非目を通していただければと思う。

*2:この協会は、以下のようにデータサイエンティストのスキルセットを定義している。「データサイエンティストに求められるスキルセット」に”データサイエンス”という部分空間があるのは、個人的には解せない。

www.slideshare.net

なお、完全に余談だが、下記のWebページのfaviconを設定してほしいとずっと思っている。

www.datascientist.or.jp

*3:調べたけれど、結局正確な出典が分からなかった。知っている方がいらっしゃったらTwitterか何かで教えて下さい。

*4:偉い人が今の入試制度をどう思っているか知らないが、僕が今でもきちんと覚えているのは、結局のところ受験の為に「詰め込んだ」科目ばかりだ。大学以降は一概にそうでもないが。

安保法改正とSEALDsに対する当たり障りない感想と、技術的負債の話

はじめに

このエントリの「当たり障りのなさ」を担保するために、以下のことを確認しておく。

このエントリの目的

このエントリの主眼は、あくまでもライブ告知だ。

これが伝えられれば、とりあえず満足だ。

安全保障関連法案と、このタイミングについて

正直な話、僕は「こうするべきだと思う」という意見を論理的に発信できるほどちゃんと理解していないので、法案が通るまでこのテーマでBlogを書くのを保留していた。でも、今回の”騒動”はそんな無知なWebエンジニアから見ても興味深いことがいっぱいあったので、今更感があるのを自覚しながら以下の2つの観点でBlogを書いてみる。

  • 一連のゴタゴタと、いわゆる「技術的負債」の関係
  • SEALDsに対する共感とデモに対する違和感について

法案が国会を通過して一週間も経って、大学生の夏休みも終わって、しかも福山雅治が結婚した今なら、もう当たり障りもないだろう。

一連のゴタゴタと「技術的負債」の話

技術的負債 (Technical debt)という言葉を聞いたことがある人はどれくらいいるのだろう?Martin Fowlerという人の"TechnicalDebt"という解説がわかりやすくて好きなんだけれど、当然英語で書かれている。恥ずかしいことに僕は英語がそれほど得意ではないのだが、Martin Fowler's Bliki (ja)という、有志の方々による素敵な日本語訳がGitHubにあるので、その該当ページ「技術的負債」からありがたく引用させていただく。

システムに新しい機能を追加するとしよう。2つのやり方があるはずだ。ひとつは、早いけれど、ぐちゃぐちゃになるやり方(将来、変更が困難になることは分かっているよね)。もうひとつは、キレイな設計だけど、導入に時間のかかるやり方。


「技術的負債」とは、Ward Cunningham が作ったメタファーである。上記の問題について考える際に、この言葉が役に立つ。このメタファーを使うと、早いけれど汚い解決方法は(ファイナンスの負債と同じく)技術的な負債が発生する、ということになる。 通常の負債と同じく、こちらの負債も利子を払う必要がでてくる。 早いけれど汚い設計を選んだせいで、将来の開発において余分な労力をさかねばならなくなる、というわけだ。 これからずっと利子を払いつづけていくことも可能だし、 リファクタリングによって良い設計に修正し、元本を減らしてしまうということも可能だ。 もちろん元本を減らすのにはコストがかかる。

憲法9条と安全保障なんて技術的負債そのものだ。「キレイな設計」、つまり憲法改正をしないで自衛隊を作ったせいで、それ以後の安全保障周りの機能拡張には常に「余計な労力」を割く羽目になっている。もちろんリファクタリング憲法改正)によって元本を減らすことも選択肢の一つだが、それには膨大なコストがかかる。今の日本にそのコストが払えるかどうか、僕にはわからないけれど。

誤解してほしくないのは、はじめに「キレイな設計」をしなかったのが悪いと言っているわけじゃないということだ。技術的負債より、リリースまでのスピードを優先しなければならない案件なんて腐るほどあるわけで、多分日本の安全保障はずっとそうだったんだと思う。

もちろん、そんなやり方を繰り返して拡張してきたシステムの可読性は下がるばかりなので、「今となっては、ちゃんとは誰も把握しきれていないけれど、とりあえず(少なくとも致命的な)問題なく運用出来ている」という状態が出来上がる。一度こうなってしまうと、システムのメンテナンスできる人は限られてくる。憲法9条の元で集団的自衛権の議論とか立法ができるなんて、僕の理解が及ぶところではないし、当然どれだけ説明されてもわからない。だって、可読性が低すぎるんだもん。

しつこいようだが、僕はそれが一概に悪いとは思っていない。「速度を優先する」という選択を繰り返してきたシステムが、適切なタイミングでリリースされ、ちゃんと売上に貢献しているのを僕は何度も見てきた。

SEALDsの共感とデモへの違和感について

別に僕はSEALDsの主張やデモという表現手法に対して、正しいとか間違ってるとか、素晴らしいとか頭が悪いとか言いたいわけではなく、あくまでも僕が個人的に感じたことを書く。

SEALDsに対する共感

安全保障の問題は、法治国家である日本国における技術的負債だ、ということはすでに述べた。これは、SEALDsのWebページ冒頭の

私たちは、戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。そして、その基盤である日本国憲法のもつ価値を守りたいと考えています。この国の平和憲法の理念は、いまだ達成されていない未完のプロジェクトです。

 というメッセージと矛盾しない。これはそのまま、日本の平和憲法の理念には「70年分の技術的負債がある」ということだ。先人たちは、「アメリカが日本の武力解除を目的として作った平和憲法の元で、そのアメリカと事実上の軍事同盟を結ぶ自衛隊を持ち、なおかつ民主主義を維持する」という信じられないようなプロジェクト運営を行ってきた(書いていて、これぞhack!という感じがする。きっとどのhackathonに出ても優勝だ)。

 僕は、今回の彼らの主張は

  • わかりにくすぎる、ちゃんと説明しろ
  • なんでお前らだけで決めるんだ、本当に必要なのか?
  • 改正するリスクが大きすぎる

だと理解していて、これについてはもうそのとおりだ。僕も、何度も思ったことがある。

  • 設計もコードもカオス過ぎる。1から書き直したい、時間ないけど。
  • これに機能追加するの?無理矢理過ぎる、なんで今更?
  • デグレのテスト不十分だから、事故っても知らないよ・・・

技術的負債を目の当たりにした人の、至極真っ当な感情だ。

デモに対する違和感

その一方で、デモを見るたびになんとも言えない違和感を感じる。軽蔑や嫌悪感と言ってもいいかも知れない。別にこれはSEALDsに関してだけではないし、そのデモの主張に自分が賛成か反対か、ということもほとんど関係しない、「デモ」という表現方法そのものの話だ。この理由がイマイチ自分でもはっきりしていなかったんだけれど、この違和感はどうやら「デモの主張が、僕にはわかりやすすぎる」ということに起因しているようだ。

以前「エンジニアが日々何を考えているか、ということ」というBlogでも書いたけれど、『ソフトウェアアーキテクトが知るべき97のこと』という有名なエッセイ集*1のなかに

本質的な複雑さは単純に、 付随的な複雑さは取り除け

というニール・フォードさんのエントリがあって、僕はこれを座右の銘としてエンジニアをしている。

どう考えても「平和憲法の元で、自衛権の話をする」と言うのは本質的な複雑さだ。もちろん、できる限り単純にしたいところだが、前述の通り技術的負債のためにそれも相当に難しい。しかし、だからといって「本質的な複雑さ」を付随的な複雑さとして取り除くのは本末転倒だ。大勢で「戦争法案反対!」と叫ぶ姿は、その本質的な複雑ささえ取り除いてしまっているように、少なくとも僕には見える。「TPP反対!」も「原発反対!」もそうだ。どの主張も、解決すべき問題の複雑さに比べてあまりにも単純で、わかりやすすぎる。これが僕がデモに対して抱く違和感の正体だ。

この過度な単純さは、おそらくデモという表現手法の制約だ。みんなで集まって効果的にメッセージを発信するには、内容は出来る限りシンボリックな、単純化されたものにするしかない。本質的であろうが付随的であろうが、複雑さはすべて取り除く。考えてみれば、ほとんどのデモの主張は「OO反対!」なわけで、逆に言えば「建設的な対案を論理的に主張する」みたいなことは、デモでは難しいということなのだろう。

結局何が言いたかったか

はじめに書いたとおり、これはライブ告知*2を目的とした「技術的負債に苦しんだことのあるエンジニアの当たり障りのない感想文」で、それ以上でもそれ以下でもない。

そういえば敬愛するGreen Dayのビリー隊長がlive "Bullet In A Bible" のholidayのイントロで叫んでいた

This song is not anti-American, its anti-war.

という言葉をふと思い出したので、そのlive動画を貼ってそれで終わりにしようと思う。

ではでは10/18、お暇でしたら是非下北沢まで遊びに来てください!

www.youtube.com

 

 

*1:

CC-by-3.0-USというcreative commonsライセンスに準拠して、webでも読める。エンジニアじゃなくても楽しめると思うし、エンジニアが如何にエモい人種かが垣間見えると思う。

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*2:

ライブ詳細

学生時代の友人のギタリスト・現フィドラーのkatsu氏も一緒に出てくれます。

詳細は もしもし世界? — schedule をご確認ください

アイドルとTOと神と預言者、そしてアンバサダーマーケティングについて

注) このエントリは、ライブ告知です。アイドルやwebマーケティングに興味がない人は、一番下のライブ告知(10/18 sun, 18:00 -)だけ読んでくれれば良いです。

はじめに、簡単な言い訳 

僕は「色々やってるインターネットの会社」で、プログラミングしたり、データ分析をしたりして生計を立てている(色々具合だけでいったら、相当上位だと思う)。その色々の中に、アイドル関連のお仕事(正確には、動画サイトであってアイドルには限らない)もあって、どこでどうなったのか、全然関係ないはずの僕のところに、簡単な相談が来るようになった。で、その際にノリでした「アイドルとTO(後述)と神と預言者の関係」「TOとアンバサダーマーケティングについて」という話が会社の人に結構評判が良かったこともあって、せっかくなのでここにまとめておこうと思う。先に言い訳しておくと、僕はエンジニアだしデータサイエンティストだから、本当にアイドルやマーケティングに詳しい人はこの文章の間違いは寛大に見逃すか、優しく僕 (@shoe116)  まで連絡をくれたら嬉しい。

アイドルとそのファンについて

アイドルとそのファン(以下敬意を持ってヲタと表記する。昔は親衛隊といったらしい)は「互いに承認欲求を満たしあう、非常に都合の良い擬似的な恋愛関係にある」ということは、過去の当ブログのエントリ「ニセモノノコイガシタイ (アイドル現場とデール・カーネギーの密接な関係) 」で述べたとおりだ。残酷なまでに単純化すると

  • 無条件にチヤホヤして欲しいアイドル
  • 「いつもありがとう」といってもらいたいヲタ

の関係だ。

僕は行ったことないけど、マンガやドラマで見る限りキャバクラも似たようなものだと思う。このことは、別に僕だけが気づいているわけではない。FoggのCHEERZDeNASHOWROOM、DMMのyellはどれも「承認欲求」に着目したソーシャルゲームだ。「1つも知らねーよw」という人も多いと思うので、DEEPGIRLましろさんの味わい深いつぶやきを引用しておく。

アイドルは、ヲタからのcheerで常時ランキングされる。当然、承認欲求から彼女たちは上を上を目指す。ヲタはヲタで、そのアイドルにどれだけcheerしたかでランキングされる。アイドルからの承認を求め、ヲタもcheerに勤しむ。

勘のいい人は気づくと思う。そう、たくさん"cheer"するために、ヲタは相当額の課金が必要だ。 サービス運営側が過度なプロモーションをかけなくても、プレイヤーであるはずのアイドル側が自主的に「もっと課金してほしい」とヲタに呼びかける。本当に良くできたソーシャルゲームだ。なお、SHOWROOMについてもとてもわかりやすい事案を見つけたのだが、あまりに生々しくて直接引用することが躊躇われる。興味があったらこちらをご覧いただきたい。

アイドルとTOに見る神と預言者の関係

ヲタクの中に、"TO"と呼ばれる人が存在することを知っている人は、どれくらいいるのだろうか。「トップヲタ」、略してTOだ(ちなみに日本が誇る集合知Yahoo!知恵袋にはトップオタに関するQ&Aが存在する)。

TOを理解するには、アイドル-ヲタ界隈の構造を知る必要があるが、言葉だけで説明するのは困難なので、下記のようなイメージ図を用意した(「運営」については省略)。  あくまでも説明のためのイメージ図だ。あくまでも。

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fig.1 アイドルとTO、そして界隈の関係

 SNSが隆盛を迎えている現在でも、アイドルが全てのヲタと直接的なコミュニケーションをとることは困難である(そんなことをしていたら、リプ返している間に日が暮れてしまう)。一般に、アイドルとヲタのコミュニケーション基盤たるTwitterでも、ファン層の拡大とともに「リプは1日1回」「リプは気まぐれ」「リプ出来なくてごめんね」という状態遷移をたどる*1。しかし、アイドルとヲタの活動には

  • コールやミックスの作成と布教
  • 生誕祭やオフ会等のヲタの有志が主導するイベント
  • ライブの情報拡散や集客

等、「アイドル(神)とヲタ(信者)が協力して行うべき神事」が多くある。 特に生誕祭の成功には、界隈の威信がかかるため、有志の「生誕委員」による入念な準備とアイドル側との綿密なコミュニケーションが必要になる*2。そこで、登場するのが「預言者たるTOの存在」である。預言者は神の言葉を聴き、皆に広める。必要があれば神に問い、その答えを皆に伝える。このTOがハブとなり、アイドルを中心としたコミュニティが成長していくのである*3

アイドル現場で見られる「誰が考えたんだよw」という手の込んだ、それでいて一糸乱れぬコールやミックス、「誰がどうやって運営してんの?」という規模のファン有志企画の影には、TOとその側近界隈の、有力かつ有名な少数精鋭ヲタの大きな貢献があるのだ。

ここで、聖書の一説を引用したい。

あなたがた(教会)は使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。

(2:20)

 これはそのまま、以下のように置き換えることが出来るだろう。

あなたがた(ファン)はTOとその直属の界隈という土台の上に立てられており、アイドルご自身がその礎石です。

しかし、TOの負担は小さくない。スケジュール調整や企画運営、こまごまとした連絡、界隈間のトラブルの仲裁・・・。当然、彼らはそれらを無償で、自らの意思で行う。なぜ、アイドル現場ではそんなTOが湧き出てくるのだろうか。

TOの資質と権威、そしてアンバサダーマーケティングについて

 自分で、問題を提起しておいてなんだが、もう皆さん分かっていると思う。そう、承認欲求だ。TOには、下記の2つの資質が求められる。

  • アイドルによる、「この人が1番私を応援してくれている」という承認
  • ヲタ界隈による、「この人が1番彼女を応援している」という承認

この2つの承認を得るために、預言者たるTOは身を粉にしてライブに通い、そして神の言葉を聴き、それを皆に伝える。より信仰が広まるように、そしてより完成度の高い神事のために尽力するのだ。

"TO"のような、承認欲求を利用したマーケティング手法に、「アンバサダーマーケティング*4」がある。「FacebookTwitterに代表されるSNSの台頭によって、Webマーケティングは新しい時代に突入した。アンバサダーマーケティングである。」的な文章を見たことがある方もいるかもしれない(ちなみに、Webマーケティングは、プロ野球のドラフトにおける「10年に1人の逸材」やハリウッド映画で「全米が泣く」のと同じくらいの頻度で「新時代に突入」していると個人的に思っている)。

アンバサダーマーケティングについて、京井良彦 (@kyoi_y) さんの、アンバサダーにお金をあげないで! というアドタイのエントリを少し長文で引用させていただく。

(前略)
アンバサダーマーケティングとは、自社ブランドのファンを「大使」として任命することで、口コミなどでその評判を広めてもらえることを期待するものです。

(中略)

アンバサダープログラムで大事なことは、金銭的なインセンティブを付与しないことです。 例えば、料理レシピのクックパッドは、金銭的なインセンティブがなかったからこそ成長したことで有名です。 クックパッドのユーザーは、基本的に他のユーザーから評価されることが、レシピ投稿のモチベーションになっています。 それによって、質の高いレシピが集まり続けているわけです。 もしここにポイントプログラムのような金銭的インセンティブをつけてしまうと、ポイント目当てに何でもかんでも投稿するユーザーが増えて、投稿レシピの質が下がってしまいます。 ユーザーが欲しいのは、お金ではなく評価なのです。

 そして、最後のようにまとめられてる。

お金より評価や誇り。
こういったモチベーションは、人間だけが持つものです。
アンバサダーという「人を起点としたマーケティング」への取り組みは、こういったことを理解することから始まるのだと思います。

長くなってしまったので、僕もこのブログを以下のように結論付けたい。

  • アイドルを語る際、承認欲求は重要な要素であり、それに注目したwebサービス複数存在する
  • アイドル(神)とヲタ(信者)をつなぐTO(預言者)が存在する
  • TOの仕組みは、アンバサダーマーケティングのそれとほぼ等価である

最後に、僕の承認欲求の話(ライブ告知)

ライブします!僕と学生時代に一緒にギターを弾いたり歌ったり、研究してくれたりした愛知在住のフォークシンガー/フィドラー カツ氏が東京まで応援に来てくれます。

お暇な方、是非遊びに来てください!

詳細

  • 日時:10/18 (sun) 18:00 op, 18:30 st
  • 場所:下北沢ラグーナ (DaisyBarの1階)です
  • 費用:事前にとり置きの連絡いただければ、1000円 + ドリンク500円
  • 出演:しゅう、たかみや"dragon"りゅうすけ、杉田慧、宮元さゆり、吉川亮毅

僕の出演はトップバッター、18:30 - です。よろしくお願いします。

 

注釈等:

*1:

たとえば、でんぱ組.incのセンター古川未鈴さんのtwitterには現在も「レスできなくてごめんね!」の文字が残る。

twitter.com

*2:たとえば、でんぱ組.inc最上もがさんの生誕企画は、でんぱ組.incとそのファンコミュニティが大きくなった現在も有志のヲタにより企画・運営されており、以下のようなtwitterアカウントが存在する。なお、本人たちのエゴサーチにかからないように、鍵付きで運用されている。

twitter.com

 

*3:ちなみに、新旧預言者の関係や考え方の相違によって、時として周囲を巻き込んだ非常に面倒なイザコザに発展するのもTOと預言者の共通点だが、今回は触れないことにする

*4:

話を簡単にするために、この文章ではアドボケイター(Advocate)とアンバサダー(Ambassador)を区別せず、「アンバサダー」と呼ぶことにする。

サブカルにすらなれないラブソングのメロディ

僕がアコギを抱えて1人で恋の歌ったところで、別に世界はちっとも幸せにならないし、今日のあなたの仕事も楽にはならないし、もちろん日本のGDPにも全く貢献しない。僕はいわゆる”サブカル”が大好きだけれど、高々数十人にしか届かない僕の歌う歌なんて、サブカルどころか「サブカルにすらなれない歌」だ*1

45分の持ち時間(長い気がするよね、うん、本当に長かった)のうち、多分10分くらいは、適当なことを話していたと思うんだけど、結局話さなかったことがあって、それは「久しぶりにライブに出ようと思った理由」「このライブに来てくれた人に伝えたいこと」についてだ。でも、そんな個人的なことを書いても、ほとんどの人にはどうでもいいこと(これぞまさに「サブカルですらない」という所以!)だと思うので、まずはもう少し一般的なことを考えてみることにする。

芸術の授業とメインカルチャー

世の中には、頼まれもしないし、お金にもならないのに(というかむしろお金がかかる)、ライブをしたり、絵を描いたり、写真を撮ったりする人がいっぱいいる。そういえば、学校の授業には芸術(図工や美術、音楽に加え、書道も多分そうだ)の授業があるのに「なんで人は創作活動に精を出すのか」なんて教えてもらったことはない。まず、これについて考えてみようと思う*2

芸術の授業の座学で扱われるのは当然「メインカルチャー」で、音楽ならモーツァルトthe Beatles、絵画ならゴッホピカソで、僕はそれについて疑問も不満もない。人類共通の財産として、それらを学ぶことにはとても意味があるのだろう。

一方、芸術の授業にはもれなく実技がついてくる。音楽の授業は「音楽鑑賞」だけではなく、歌を歌ったり楽器を演奏したりしたし、美術の時間には絵を描いたり彫刻を作ったりした。何を書いたか全然覚えていないけれど、書道の時間には筆で字を書いた。こういうことを言うと色んな批判を浴びる気もするけれど、別に才能も技術もない普通の学生にこんな創作活動をさせても、いわゆる「メインカルチャー」の進歩に直接寄与するはずはなく、その生徒が奇跡的な才能と技量を発揮した場合でサブカル、大抵の場合は「サブカルにすらなれない」、せいぜい先生や友達、それに親や親戚に褒められる程度の作品しか生まれないはずだ。

でも、この実技にも(少なくとも税金をつぎ込むだけの)立派な目的があるはずだと文部科学省ホームページを漁っていたら、文化芸術振興基本法に辿り着いた。

文化芸術振興基本法サブカルチャー

僕は恥ずかしいことに法律の読み方を知らないので、とりあえずわかりやすそうな文化芸術振興基本法要綱をひと通り読んでみたのだけれど、つまりサブカル("にすらなれない"を含むと僕は理解した)で全く構わないから、とにかく芸術を創造することを推奨すると言っているんだと思う。その書き出しがわかりやすかったので、ここに引用する。

文化芸術を創造し,享受し,文化的な環境の中で生きる喜びを見出すことは,人々の変わらない願いである。また,文化芸術は,人々の創造性をはぐくみ,その表現力を高めるとともに,人々の心のつながりや相互に理解し尊重し合う土壌を提供し,多様性を受け入れることができる心豊かな社会を形成するものであり,世界の平和に寄与するものである。

なるほど、どうやら「文化芸術を創造」することは、僕に限らず「人々の変わらない願い」であるらしい。この要綱に書かれた価値観は、僕が事あるごとに引用している「人がみんな、感情をスピーディに且つ美しく表現して、それを享受した喜びでまた新しい価値観や世界がうまれて、そういう創造的な社会」*3に通ずるものがあって、国のお墨付きを頂いたようで、ほんのちょっと自信が持てた。こんな大切なこと、なんで学校の先生は教えてくれなかったんだろう?

僕は小中高と音楽の授業で歌をうたうのも、美術で絵を書くのも、国語で詩や文章を書くことも好きだったけれど、そんな自分は少し変わっていると思っていた。変なこと自体は全然嫌じゃなかったけれど、特に高校生の時は「そんなことよりも、もう少し運動神経が良くて体育が好きだったら幸せになれるのに」と信じて疑っていなかった。

サブカルにすらなれないラブソングのメロディ

最後に、僕が「なんでライブをしてみたか」「何が歌いたかったか」って話。

理由の1つめは当日少し話したんだけれど、つまり最近僕が何かと口にしている「承認欲求」というやつで、ものすごく簡単に言うと「曲書いたよ!練習したよ!褒めてー!!」という感情だ。もちろん、さすがにここまで僕の思考は単純ではないのだけれど、残念ながらそれをわかりやすい文章に起こすだけの力を僕は持っていなし、根本的な部分はその通りなので、もうそれでいい。わざわざ人前で金にならない自分で作った歌を歌うなんて、承認欲求以外の何物でもない。そして、とりあえず僕は気が済んだ(ついでに言うと、伸びていた髪をバッサリ切った)。

もう一つは「見てくれた人が何か創造的なことしたくなってくれればいいなぁ」という、文化芸術振興基本法に則ったもので(さっき調べたばかりなので結果論だけどねw)、僕の歌なんて大した価値はないのだけれど、見に来てくれた人が「久しぶりにライブやりたいなぁ」とか「あの程度でいいなら何かやってみようかなぁ」とか思ってもらえばいいなぁと思っていた。こちらに関しては、数人から直接「やりたくなった」と言ってもらえたので、とても嬉しかった。

そんなこんなで、自分でもびっくりするくらい長文になったけれど、何が言いたかったかというと

  • 見に来てくれた人、本当にありがとう!嬉しかった、また来てね!
  • 見に来てくれなかった人、また機会があったら来てね!予定は未定だけど!

ということでした。

ライブさせてもらったKAKADOさん、どうもお世話になりました。

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*1:

この「サブカルにすらなれない」という表現は、大森靖子さんの"hayatochiri"に習ったものです。

ねえ知ってた?サブカルにすらなれない歌があるんだよねえ知ってた?アンダーグラウンドは東京にしかないんだよ (大森靖子 "hayatochiri")

*2:

芸術の授業以外の、国語や数学についても「そもそも、この授業の背景はOOで、目的はXXです」なんて言われた記憶がないので、多分高校までの学校の先生は「そんなこと、生徒に伝えなくてもいいや」と思っているんだろう。確かに、小学生に言っても、難しすぎてわからない気もする。

大学の授業はシラバスで1番はじめにそれを説明してくれるので、嬉しかった。

*3:

もうそろそろしつこいかもしれない。大森靖子さんのブログあまい:2014年11月の一節で、

 

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 にガッツリ書いた。僕はインターネットやソフトウェアはこういう社会になる一助になると信じて、日々会社でエンジニアのお仕事をしている。

僕が弾き語りが好きなたったn個の理由

はじめに言っておくと、このエントリはライブ告知です。

伝えたいのは

  • 日時:5/6 (水・祭) 19:00 -
  • 場所:KAKADO @お茶の水
  • ドリンク別1000円
  • 僕は19:45 - カバーとオリジナル交えてまったり弾き語りします
  • 来てくれたら大喜びするので、GW最終日お暇な方ぜひ来てくださいっ

だけなのだけど、それじゃBlogとしてあんまりだし、友人に「弾き語りについて書いてw」と言われたので一応書いてみることにする。

でも、大事なのはライブ告知で、もうその目的は済んだから理由の個数nはずっとnのままで、思いついたまま書き進めることにする。

そもそもの話

自分でも忘れていたけれど、そもそも僕がギターを弾けるのも、ハーモニカが吹けるのも、中学生の時(信じられないことに、15年前という大昔だ)にゆずが大好きだったからにほかならない。ゆず全曲集を買って、「バレーコードが出てこない好きな曲」から順にコピーした。「四時五分」「地下街」この辺りだ。サヨナラバスはB♭、夏色はF(カポ3)が出てくるから後回し。ちなみに、僕が初めてギターを練習した曲は、同時期に同じくらい好きだった19の「あの紙ヒコーキくもり空わって」で、この曲はいきなりF#mだから同じ理由で挫折した。

思えば

モスコミュールが大好きでした

目立つ事ばかり考えてました

毎日ノリノリでした

おだてられるのが好きでした

(『四時五分』 作詞・作曲: 北川悠仁)

なんて歌っていた中学生当時の僕は当然モスコミュールなんて飲んだことなくて、今の僕は当時の悠仁よりずっと年上になっているんだけれど(15年という歳月はそういうことだよね)、この前なんとなく歌ってみたら懐かしいというよりもとにかく楽しくて、「四時五分」は5/6も歌わせてもらうことにした。個人的に「男の恋愛の仕方とノートの字は14歳から成長しない」と考えているのだけど、僕にとってこの曲はそんな感じなのかも知れない。あの頃から成長していない価値観。

まぁ、つまり、そもそも僕は弾き語りが好きなんだ。これが1つ目の理由。

最近の話

学生の頃はバンドサークル(「フォークソング」を名乗っていたけど、全然違った。どこもそうなのかも知れない)でテレキャスターを持って(弾いて、とは書かないよ!)歌っていたので、弾き語りから少し離れていたのだけど、社会人になってから立て続けにギター弾き語りのミュージシャンにガッツリハマってしまった。

せっかくになので、その話を書こうと思う。

大森靖子さんの話

アイドルを見に行ったはずのTOKYO IDOL FESTIVAL 2013で、「ああ、やっぱり僕はアイドルじゃないんだ」と思い知らされた、少しだけ年下のシンガーソングライター。

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 でも紹介しているけど、曲終わりで拍手をすることさえ許されないような、圧倒的な場をコントロールする力と、「自分の考えや感情を素早く美しく表現する」という、弾き語りの魅力がたっぷり味わえる。

youtu.be

弾き語りのいいところは、シンプルが故に歌詞やその人の価値観に心置きなく浸れるところで、大森さんのライブに行くとそれはもうグッタリなわけです。

「才能に嫉妬する」って、こういうことを言うんだなぁと。

奇妙礼太郎さんの話

僕はプログラムを書くことでお金をもらっているけれど、お仕事をする上で「頑張り過ぎないこと」と、「手を抜かないこと」がとても大切だと思っている。僕は大抵の場合、「頑張りすぎ」て「最終的に手を抜く」ことになってしまっているけれど。

その点で、奇妙さんのライブはいつも自然体で、でも聞きにきている僕らに対して誠実で、そのバランスが奇妙というより絶妙だと思う。

youtu.be

 

松田聖子さんやユーミンのカバーも、CMでも使われてた「シャンゼリゼ」も素晴らしい(とても簡単に言うと、歌が上手なんだ)けれど、オリジナルの曲もとても良くて、こんなふうに歌が歌えたらなぁといつも思う。

そんなこんなで、1番大切なこと

いろいろ書いたけれど、弾き語りが好きな理由なんてどうでも良くて(ていうかnが曖昧で自分でも結局いくつかわからないw)

GW最終日、予定のない方はぜひお越しくださいませ。

そういえばライブハウスに1人で出るなんて、生まれて初めてだ!

 

ニセモノノコイガシタイ (アイドル現場とデール・カーネギーの密接な関係)

僕はアイドルが好きだ(でんぱ組.incNegiccoゆるめるモ!、プティパ等)。

アイドルという存在について、考えることべきこと、書いてみたいことがたくさんたまっているのだけど、1度にはとても消化しきれないので、今日はこの「好き」ということについて、極力客観的に考えてみたいと思う。そもそも「好き」という感情はとても主観的なもので、それを客観的に語ろうとするこのエントリには根本的な無理があるのだけど、それについては一旦棚に上げる。

なお、「棚に上げたまま、上げたこと自体を忘れる」ことは、比喩的な場合も、比喩的でない場合でも特に珍しいことではないので、今日のエントリもそれに習ってほんの数行で忘れることにする。もちろん、そのほうが都合がいいからだ。

つまり、恋だと言うこと

アイドルとそのファン(以降、敬意を持ってヲタと記載する)の関係は、一言でいうと信じられないほど都合の良い恋愛感情で繋がっている。それについては、篠原さんがほぼ完璧な見解をツイートされていたので、ここに引用する。

 このツイートそのものは理由はわからないけれど削除済みで、引用するのは少し気がひけるのだけれど、僕の日本語能力ではこれ以上の表現が不可能なのでこの際棚に上げる(そして忘れる)。 僕はアイドルの現場以外の、いわゆる普通のライブに行くことも多い(というかほとんどの場合アイドルではない)けれど、アイドルに限っては、この”両思い”という表現は言い得て妙だと思う。これについてもう少し掘り下げてみたい。

アイドルは多分ショービジネスではない

「ではない」を考えることが、論理的思考では重要だ。背理法に落とせるかも知れないし、そうでなくても思考の探索空間を確実に狭めることができる。

僕は斉藤和義さんやスピッツが好きだ。the Beatlesthe Rolling Stonesも好きだ。男性だと少し話がわかりにくくなってしまうかもしれないので、

 

shoe116.hatenablog.com

 でも紹介した女性ミュージシャン、大森靖子さんを例に出そう。

僕と彼女の関係は、簡単に言うと下記の3点だ。

  1. パフォーマンスと金銭の交換
  2. 彼女の才能への羨望
  3. 彼女とその作品への尊敬

彼女はいつの間にか、以前よりずっとずっと大きな会場で、遠くで歌っていることが多くなったけれど、僕と彼女のこの関係は20人くらい座ったら満席な小さなライブハウスで初めて見た時から根本的に変わっていない。先に上げた、せっちゃん*1やマサムネさん*2、ミックやキース*3に関しても同様だ。彼らの場合は、はじめからはるか遠くにいたけれど。つまり、これがショービズでありエンターテイメントなんだと思う。

アイドル現場(特に地下と呼ばれる界隈)で、上記3点を探すのは難しい。他のアイドルが舞台で踊っていても、ヲタの皆さんはお目当ての女の子の物販(というか接触機会)に夢中だし、AKB48を見ればわかるように、彼らはCDすら「音楽」ではなく「接触時間」として消費する。僕自身、大好きなもがちゃんと握手して、ほんの少しだけれどお話できる時間の幸福感は筆舌に尽くし難い。「アイドルに憧れる女ヲタ」を除けば、そこに尊敬や羨望はほとんど存在していない(この点で、女ヲタと通常のヲタは本質的に異なる)。

「アイドルの現場にあるのは、結局なんなのだろう?」とずっと考えていたのだけれど、それはつまり承認欲求を満たし合う、ノーリスクノーリターンな恋愛ごっこなんじゃないだろうかと、最近は思っている。

アイドル現場と承認欲求

カーネギー人を動かすという本を読んだことがある人は多いと思う。僕も会社の尊敬すべき先輩に、「結局どの本もこの本の焼き直しだ、と頭の良い人に言われたから、私はこれだけ読んだ」と言われたので、自己啓発本なんてほとんど読むことはないのだけど、頑張って読んだ(読んだというよりは、「目を通した」に近い、やっぱりあの手の本は好きじゃない)。その内容は、たった1行で要約できる。

承認欲求を満たせば人は動く

これだけだ。承認欲求。アイドルを語る上で、これ以上便利な言葉はないと思う。この本の第2章には、以下の様な「人に好かれる六原則」が書かれている。

  • 誠実な関心を寄せる
  • 笑顔で接する
  • 名前は、当人にとって、最も快い、最も大切な響きを持つ言葉であることを忘れない
  • 聞き手に回る
  • 相手の関心を見抜いて話題にする
  • 重要感を与える - 誠意を込めて
 
これは、もう紛れも無く、ヲタがアイドルとの接触で求めているものそのものだ。彼らはアイドルに、これらの承認欲求を満たされることを期待してお金を使う。

一方、アイドル側がヲタに求めるものはこの本の第1章「人を動かす3原則」にズバり書かれていて、それは以下の通りだ。

  • 非難も批判もしない。苦情も言わない
  • 率直で、誠実な評価を与える
  • 強い欲求を起こさせる
 
言葉を選ばないでかけば、アイドル達のゴールは「よくわからないけど、いろんな人にチヤホヤされる」ことであるように少なくとも僕には見えていて、そういう意味で彼女たちの求めているものも、また承認欲求だ。重要なのは「よくわからないけれど」という部分で、だからアイドルの歌は上手くなくて良いし、ずば抜けたダンスの才能は求められない。もっと言えば、女優さんみたいな整った容姿でなくて構わない。
以上のように、アイドルとヲタは互いの承認欲求を満たし満たされるステキな"両思い"の関係にあり、僕はこれを「ニセモノの恋」と呼びたい。
 

 ニセモノノコイガシタイ

本当の恋愛がハイリスクハイリターンだということは、恋愛経験の乏しい僕だって知っているし、少女漫画とか月9のドラマはそのリスクとリターンだけでストーリーが構成されていると言ってもいい。本物の恋愛が厄介なのは、「相手がある問題だ」ということに加え、「ココロとカラダの根本的な問題」であることから、一度始まってしまうとリスクヘッジが効かないということ(場合によっては始まることすらコントロール出来ないことがある、と言うのは「一目惚れ」という言葉が存在することから明らかだ)で、この点において、このニセモノの恋は、ヲタにとって非常に都合がいい。社会人になってからようやく分かったことだけど、自分でコントロール出来る範囲のお金と時間だけでリスクヘッジできるというのは、とても稀なことで、とてもありがたいことだ。

このニセモノの恋が1番わかりやすく反映されているのが「アイドルは彼氏を作ってはいけない」という、論理的に説明するのが難しいわりに納得するのは簡単な共通認識で、これはつまり、「(本当の)恋愛をするなんて契約違反だ」という主張だ。お金によってノーリスクノーリターンな恋を望む彼らと、ただただそのままの自分を認めてもらいたい彼女たちからすれば、まぁ確かに至極まっとうな取り決めであると言える。

とても長くなってしまったけれど、僕はだからアイドルが好きだ。

今夜はこの曲でお別れしましょう。Negiccoさんの「アイドルばかり聴かないで」

youtu.be

追記:スライドを作成しました

ひょんな事で発表する機会を得ましたので、スライドを作成しました。

www.slideshare.net

なお、資料にはぺろりん先生のイラストを引用という形で利用させていただいています。

 

備考等:

  1. ヲタの中には、この幸せなニセモノの恋ではなく、いわゆる「ガチ恋」でリスクを負っている人が存在する。この話をしだすと、大変ややこしくなるので、本エントリでは触れないこととした。
  2. この前Negicco赤坂BLITZのワンマンに行ってきたけれど、そこでは良質なショービジネスが展開されていて、僕は大満足だった。でも、まぁそれは別の話。

 

 

 

 

 

 

 

*1:斉藤和義さんの愛称

*2:スピッツのギターボーカル

*3:the Rolling Stonesのボーカルとギター

電王戦にみる機械とヒトの未来についての考察

小学生当時、市内のテキトーな子どもの大会(もちろん奨励会目指すような子たちは出ないヤツ)で優勝するくらいには強かった僕は、今でもほんとに時々だけど将棋を指したり、タイトル戦を眺めたりする。記憶が正しければ、小学校6年生の最後、将棋連盟公認でアマ1級だったと思う。

今のお仕事はbig dataとか機械学習(これをひとまとめにするのはどうかと自分でも思う)に馴染みが深いので、そういう意味もあって電王戦はとても興味深い。

 

ex.nicovideo.jp

特に僕が面白いと思うのは、

  • 人間と機械でブランチカットの仕組みが全く違う
  • ヒトは新しい進化のタイミングを迎えつつある

ということだ。

ブランチカットとヒステリシス特性

将棋の手を読むっていうのは、まぁつまり盤面の状態を探索をするってことで、全探索ができないのであの手この手でブランチカットをする。これは機械も人間も大体同じだ。ただ、致命的に異なる点があって、機械は「盤面を止められる」けれど人間の思考には「ヒステリシス(Hysteresis)」があるってことだ。

もっと具体的に言うと、人間は「状態の時系列」を利用してブランチカットをしている。これは、将棋の本を読んだことがある人にとっては当たり前のことなんだけど、将棋の本の盤面は大抵「最後に動いた駒がどれか」をマークしてあって(よくあるのはその駒が太字になってる)、これは、つまりそうしたほうが人間にとっては盤面を理解しやすいってことだ。TVの大盤解説でも、「現在の局面に至った過程」を簡単になぞった後に盤面の解説が始まる。

将棋のルールを考えれば、「次の手を読むのに、その盤面の瞬間以外にそれまでの時系列がいる」ってちょっと不自然で、A->B->C という変化が、A->B'->Cだったとしても次に指すべき手は"Cにおける最善手"にほかならない。つまり、過去は次の手を読むのに本質的には必要ない。ということは、ヒトは「これまでの状態遷移」を深く読むべき探索経路の決定、逆に言えば「読まない変化の決定」に使っているはずだ。「機械に勝てない」の定義に依ってしまうところではあるけれど、ミスとかbugとかを差し引いて、純粋に将棋というゲームについての理解度での勝ち負けを競うのであれば、「時系列によるブランチカットをされた、人間の読まない変化」の中に、「機械が探索できる、より良い手」が多くなってきたらもう人間に勝ち目はないと思う(今回のponanza戦なんかは、見ていて結構そんな感じの印象を受けた)。

あ、でもきっと羽生さんは盤面が止められるんだと思う。羽生マジックってつまり「普通の棋士だとブランチカットされるはずの中で見つかる最善手」なんだと思うから。

機械でヒトが今までより賢くなる話

今回のponanza先生の変化は、間違いなく棋士の先生たちにとっての相横歩取りの定跡、もっというと将棋観そのものに疑問を投げかけるものだと思っている。

つまり、これを元に新しい研究手が出てくるだろうし、今までは見向きもされなかった、機械が指すまでは時系列でブランチカットされたような変化も棋士の読みに入ってくるだろう。

ものすごく簡単にいえば、機械からヒトが学習するということだ。

今まで、ヒトはヒトや自然から学習すること、まぁ細かいことに気を使わないで言うと「神が作った何か」から学習することしかできなかったのに、機械という「ヒトの作った何か」から学習することができるようになった、と。

これって、つまり「ヒトがぐっと賢くなる可能性が大きく広がった」っていうことで、本当に素晴らしいことだと思う。「2001年宇宙の旅」でいうところのモノリス的な、ヒトの進化がすぐそこまで来ているんじゃないかな。

 

最後に、Ponanzaの作者の山本さんのこの記事はとても示唆に富んでいてお勧めです。

ponanza.hatenadiary.jp