ニセモノノコイガシタイ (アイドル現場とデール・カーネギーの密接な関係)
僕はアイドルが好きだ(でんぱ組.inc、Negicco、ゆるめるモ!、プティパ等)。
アイドルという存在について、考えることべきこと、書いてみたいことがたくさんたまっているのだけど、1度にはとても消化しきれないので、今日はこの「好き」ということについて、極力客観的に考えてみたいと思う。そもそも「好き」という感情はとても主観的なもので、それを客観的に語ろうとするこのエントリには根本的な無理があるのだけど、それについては一旦棚に上げる。
なお、「棚に上げたまま、上げたこと自体を忘れる」ことは、比喩的な場合も、比喩的でない場合でも特に珍しいことではないので、今日のエントリもそれに習ってほんの数行で忘れることにする。もちろん、そのほうが都合がいいからだ。
つまり、恋だと言うこと
アイドルとそのファン(以降、敬意を持ってヲタと記載する)の関係は、一言でいうと信じられないほど都合の良い恋愛感情で繋がっている。それについては、篠原さんがほぼ完璧な見解をツイートされていたので、ここに引用する。
結局さ、アイドルなんてこっちがいくら思ってたってファンの人がイベントに来てくれなくなったらもうそれでこれらの関係は終わりなんだね。思い出だって沢山あるのに。これって両思いだと思ってたのにいきなり理由なく捨てられるのと同じだ。せめてみんな理由教えてよ。悩みがあるなら教えてよ!ばか!
— 篠原冴美 (@shinoharasaemi) 2015, 3月 24
このツイートそのものは理由はわからないけれど削除済みで、引用するのは少し気がひけるのだけれど、僕の日本語能力ではこれ以上の表現が不可能なのでこの際棚に上げる(そして忘れる)。 僕はアイドルの現場以外の、いわゆる普通のライブに行くことも多い(というかほとんどの場合アイドルではない)けれど、アイドルに限っては、この”両思い”という表現は言い得て妙だと思う。これについてもう少し掘り下げてみたい。
アイドルは多分ショービジネスではない
「ではない」を考えることが、論理的思考では重要だ。背理法に落とせるかも知れないし、そうでなくても思考の探索空間を確実に狭めることができる。
僕は斉藤和義さんやスピッツが好きだ。the Beatlesやthe Rolling Stonesも好きだ。男性だと少し話がわかりにくくなってしまうかもしれないので、
でも紹介した女性ミュージシャン、大森靖子さんを例に出そう。
僕と彼女の関係は、簡単に言うと下記の3点だ。
- パフォーマンスと金銭の交換
- 彼女の才能への羨望
- 彼女とその作品への尊敬
彼女はいつの間にか、以前よりずっとずっと大きな会場で、遠くで歌っていることが多くなったけれど、僕と彼女のこの関係は20人くらい座ったら満席な小さなライブハウスで初めて見た時から根本的に変わっていない。先に上げた、せっちゃん*1やマサムネさん*2、ミックやキース*3に関しても同様だ。彼らの場合は、はじめからはるか遠くにいたけれど。つまり、これがショービズでありエンターテイメントなんだと思う。
アイドル現場(特に地下と呼ばれる界隈)で、上記3点を探すのは難しい。他のアイドルが舞台で踊っていても、ヲタの皆さんはお目当ての女の子の物販(というか接触機会)に夢中だし、AKB48を見ればわかるように、彼らはCDすら「音楽」ではなく「接触時間」として消費する。僕自身、大好きなもがちゃんと握手して、ほんの少しだけれどお話できる時間の幸福感は筆舌に尽くし難い。「アイドルに憧れる女ヲタ」を除けば、そこに尊敬や羨望はほとんど存在していない(この点で、女ヲタと通常のヲタは本質的に異なる)。
「アイドルの現場にあるのは、結局なんなのだろう?」とずっと考えていたのだけれど、それはつまり承認欲求を満たし合う、ノーリスクノーリターンな恋愛ごっこ、なんじゃないだろうかと、最近は思っている。
アイドル現場と承認欲求
カーネギーの人を動かすという本を読んだことがある人は多いと思う。僕も会社の尊敬すべき先輩に、「結局どの本もこの本の焼き直しだ、と頭の良い人に言われたから、私はこれだけ読んだ」と言われたので、自己啓発本なんてほとんど読むことはないのだけど、頑張って読んだ(読んだというよりは、「目を通した」に近い、やっぱりあの手の本は好きじゃない)。その内容は、たった1行で要約できる。
承認欲求を満たせば人は動く
これだけだ。承認欲求。アイドルを語る上で、これ以上便利な言葉はないと思う。この本の第2章には、以下の様な「人に好かれる六原則」が書かれている。
- 誠実な関心を寄せる
- 笑顔で接する
- 名前は、当人にとって、最も快い、最も大切な響きを持つ言葉であることを忘れない
- 聞き手に回る
- 相手の関心を見抜いて話題にする
- 重要感を与える - 誠意を込めて
一方、アイドル側がヲタに求めるものはこの本の第1章「人を動かす3原則」にズバり書かれていて、それは以下の通りだ。
- 非難も批判もしない。苦情も言わない
- 率直で、誠実な評価を与える
- 強い欲求を起こさせる
ニセモノノコイガシタイ
本当の恋愛がハイリスクハイリターンだということは、恋愛経験の乏しい僕だって知っているし、少女漫画とか月9のドラマはそのリスクとリターンだけでストーリーが構成されていると言ってもいい。本物の恋愛が厄介なのは、「相手がある問題だ」ということに加え、「ココロとカラダの根本的な問題」であることから、一度始まってしまうとリスクヘッジが効かないということ(場合によっては始まることすらコントロール出来ないことがある、と言うのは「一目惚れ」という言葉が存在することから明らかだ)で、この点において、このニセモノの恋は、ヲタにとって非常に都合がいい。社会人になってからようやく分かったことだけど、自分でコントロール出来る範囲のお金と時間だけでリスクヘッジできるというのは、とても稀なことで、とてもありがたいことだ。
このニセモノの恋が1番わかりやすく反映されているのが「アイドルは彼氏を作ってはいけない」という、論理的に説明するのが難しいわりに納得するのは簡単な共通認識で、これはつまり、「(本当の)恋愛をするなんて契約違反だ」という主張だ。お金によってノーリスクノーリターンな恋を望む彼らと、ただただそのままの自分を認めてもらいたい彼女たちからすれば、まぁ確かに至極まっとうな取り決めであると言える。
とても長くなってしまったけれど、僕はだからアイドルが好きだ。
今夜はこの曲でお別れしましょう。Negiccoさんの「アイドルばかり聴かないで」
追記:スライドを作成しました
ひょんな事で発表する機会を得ましたので、スライドを作成しました。
なお、資料にはぺろりん先生のイラストを引用という形で利用させていただいています。
備考等:
- ヲタの中には、この幸せなニセモノの恋ではなく、いわゆる「ガチ恋」でリスクを負っている人が存在する。この話をしだすと、大変ややこしくなるので、本エントリでは触れないこととした。
- この前Negiccoの赤坂BLITZのワンマンに行ってきたけれど、そこでは良質なショービジネスが展開されていて、僕は大満足だった。でも、まぁそれは別の話。