きっと、ずっと、会議は踊る

エンジニアリングとアイドルとロックンロール

安保法改正とSEALDsに対する当たり障りない感想と、技術的負債の話

はじめに

このエントリの「当たり障りのなさ」を担保するために、以下のことを確認しておく。

このエントリの目的

このエントリの主眼は、あくまでもライブ告知だ。

これが伝えられれば、とりあえず満足だ。

安全保障関連法案と、このタイミングについて

正直な話、僕は「こうするべきだと思う」という意見を論理的に発信できるほどちゃんと理解していないので、法案が通るまでこのテーマでBlogを書くのを保留していた。でも、今回の”騒動”はそんな無知なWebエンジニアから見ても興味深いことがいっぱいあったので、今更感があるのを自覚しながら以下の2つの観点でBlogを書いてみる。

  • 一連のゴタゴタと、いわゆる「技術的負債」の関係
  • SEALDsに対する共感とデモに対する違和感について

法案が国会を通過して一週間も経って、大学生の夏休みも終わって、しかも福山雅治が結婚した今なら、もう当たり障りもないだろう。

一連のゴタゴタと「技術的負債」の話

技術的負債 (Technical debt)という言葉を聞いたことがある人はどれくらいいるのだろう?Martin Fowlerという人の"TechnicalDebt"という解説がわかりやすくて好きなんだけれど、当然英語で書かれている。恥ずかしいことに僕は英語がそれほど得意ではないのだが、Martin Fowler's Bliki (ja)という、有志の方々による素敵な日本語訳がGitHubにあるので、その該当ページ「技術的負債」からありがたく引用させていただく。

システムに新しい機能を追加するとしよう。2つのやり方があるはずだ。ひとつは、早いけれど、ぐちゃぐちゃになるやり方(将来、変更が困難になることは分かっているよね)。もうひとつは、キレイな設計だけど、導入に時間のかかるやり方。


「技術的負債」とは、Ward Cunningham が作ったメタファーである。上記の問題について考える際に、この言葉が役に立つ。このメタファーを使うと、早いけれど汚い解決方法は(ファイナンスの負債と同じく)技術的な負債が発生する、ということになる。 通常の負債と同じく、こちらの負債も利子を払う必要がでてくる。 早いけれど汚い設計を選んだせいで、将来の開発において余分な労力をさかねばならなくなる、というわけだ。 これからずっと利子を払いつづけていくことも可能だし、 リファクタリングによって良い設計に修正し、元本を減らしてしまうということも可能だ。 もちろん元本を減らすのにはコストがかかる。

憲法9条と安全保障なんて技術的負債そのものだ。「キレイな設計」、つまり憲法改正をしないで自衛隊を作ったせいで、それ以後の安全保障周りの機能拡張には常に「余計な労力」を割く羽目になっている。もちろんリファクタリング憲法改正)によって元本を減らすことも選択肢の一つだが、それには膨大なコストがかかる。今の日本にそのコストが払えるかどうか、僕にはわからないけれど。

誤解してほしくないのは、はじめに「キレイな設計」をしなかったのが悪いと言っているわけじゃないということだ。技術的負債より、リリースまでのスピードを優先しなければならない案件なんて腐るほどあるわけで、多分日本の安全保障はずっとそうだったんだと思う。

もちろん、そんなやり方を繰り返して拡張してきたシステムの可読性は下がるばかりなので、「今となっては、ちゃんとは誰も把握しきれていないけれど、とりあえず(少なくとも致命的な)問題なく運用出来ている」という状態が出来上がる。一度こうなってしまうと、システムのメンテナンスできる人は限られてくる。憲法9条の元で集団的自衛権の議論とか立法ができるなんて、僕の理解が及ぶところではないし、当然どれだけ説明されてもわからない。だって、可読性が低すぎるんだもん。

しつこいようだが、僕はそれが一概に悪いとは思っていない。「速度を優先する」という選択を繰り返してきたシステムが、適切なタイミングでリリースされ、ちゃんと売上に貢献しているのを僕は何度も見てきた。

SEALDsの共感とデモへの違和感について

別に僕はSEALDsの主張やデモという表現手法に対して、正しいとか間違ってるとか、素晴らしいとか頭が悪いとか言いたいわけではなく、あくまでも僕が個人的に感じたことを書く。

SEALDsに対する共感

安全保障の問題は、法治国家である日本国における技術的負債だ、ということはすでに述べた。これは、SEALDsのWebページ冒頭の

私たちは、戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。そして、その基盤である日本国憲法のもつ価値を守りたいと考えています。この国の平和憲法の理念は、いまだ達成されていない未完のプロジェクトです。

 というメッセージと矛盾しない。これはそのまま、日本の平和憲法の理念には「70年分の技術的負債がある」ということだ。先人たちは、「アメリカが日本の武力解除を目的として作った平和憲法の元で、そのアメリカと事実上の軍事同盟を結ぶ自衛隊を持ち、なおかつ民主主義を維持する」という信じられないようなプロジェクト運営を行ってきた(書いていて、これぞhack!という感じがする。きっとどのhackathonに出ても優勝だ)。

 僕は、今回の彼らの主張は

  • わかりにくすぎる、ちゃんと説明しろ
  • なんでお前らだけで決めるんだ、本当に必要なのか?
  • 改正するリスクが大きすぎる

だと理解していて、これについてはもうそのとおりだ。僕も、何度も思ったことがある。

  • 設計もコードもカオス過ぎる。1から書き直したい、時間ないけど。
  • これに機能追加するの?無理矢理過ぎる、なんで今更?
  • デグレのテスト不十分だから、事故っても知らないよ・・・

技術的負債を目の当たりにした人の、至極真っ当な感情だ。

デモに対する違和感

その一方で、デモを見るたびになんとも言えない違和感を感じる。軽蔑や嫌悪感と言ってもいいかも知れない。別にこれはSEALDsに関してだけではないし、そのデモの主張に自分が賛成か反対か、ということもほとんど関係しない、「デモ」という表現方法そのものの話だ。この理由がイマイチ自分でもはっきりしていなかったんだけれど、この違和感はどうやら「デモの主張が、僕にはわかりやすすぎる」ということに起因しているようだ。

以前「エンジニアが日々何を考えているか、ということ」というBlogでも書いたけれど、『ソフトウェアアーキテクトが知るべき97のこと』という有名なエッセイ集*1のなかに

本質的な複雑さは単純に、 付随的な複雑さは取り除け

というニール・フォードさんのエントリがあって、僕はこれを座右の銘としてエンジニアをしている。

どう考えても「平和憲法の元で、自衛権の話をする」と言うのは本質的な複雑さだ。もちろん、できる限り単純にしたいところだが、前述の通り技術的負債のためにそれも相当に難しい。しかし、だからといって「本質的な複雑さ」を付随的な複雑さとして取り除くのは本末転倒だ。大勢で「戦争法案反対!」と叫ぶ姿は、その本質的な複雑ささえ取り除いてしまっているように、少なくとも僕には見える。「TPP反対!」も「原発反対!」もそうだ。どの主張も、解決すべき問題の複雑さに比べてあまりにも単純で、わかりやすすぎる。これが僕がデモに対して抱く違和感の正体だ。

この過度な単純さは、おそらくデモという表現手法の制約だ。みんなで集まって効果的にメッセージを発信するには、内容は出来る限りシンボリックな、単純化されたものにするしかない。本質的であろうが付随的であろうが、複雑さはすべて取り除く。考えてみれば、ほとんどのデモの主張は「OO反対!」なわけで、逆に言えば「建設的な対案を論理的に主張する」みたいなことは、デモでは難しいということなのだろう。

結局何が言いたかったか

はじめに書いたとおり、これはライブ告知*2を目的とした「技術的負債に苦しんだことのあるエンジニアの当たり障りのない感想文」で、それ以上でもそれ以下でもない。

そういえば敬愛するGreen Dayのビリー隊長がlive "Bullet In A Bible" のholidayのイントロで叫んでいた

This song is not anti-American, its anti-war.

という言葉をふと思い出したので、そのlive動画を貼ってそれで終わりにしようと思う。

ではでは10/18、お暇でしたら是非下北沢まで遊びに来てください!

www.youtube.com

 

 

*1:

CC-by-3.0-USというcreative commonsライセンスに準拠して、webでも読める。エンジニアじゃなくても楽しめると思うし、エンジニアが如何にエモい人種かが垣間見えると思う。

xn--97-273ae6a4irb6e2h2ia0cn0g4a2txf4ah5wo4af612j.com

*2:

ライブ詳細

学生時代の友人のギタリスト・現フィドラーのkatsu氏も一緒に出てくれます。

詳細は もしもし世界? — schedule をご確認ください

アイドルとTOと神と預言者、そしてアンバサダーマーケティングについて

注) このエントリは、ライブ告知です。アイドルやwebマーケティングに興味がない人は、一番下のライブ告知(10/18 sun, 18:00 -)だけ読んでくれれば良いです。

はじめに、簡単な言い訳 

僕は「色々やってるインターネットの会社」で、プログラミングしたり、データ分析をしたりして生計を立てている(色々具合だけでいったら、相当上位だと思う)。その色々の中に、アイドル関連のお仕事(正確には、動画サイトであってアイドルには限らない)もあって、どこでどうなったのか、全然関係ないはずの僕のところに、簡単な相談が来るようになった。で、その際にノリでした「アイドルとTO(後述)と神と預言者の関係」「TOとアンバサダーマーケティングについて」という話が会社の人に結構評判が良かったこともあって、せっかくなのでここにまとめておこうと思う。先に言い訳しておくと、僕はエンジニアだしデータサイエンティストだから、本当にアイドルやマーケティングに詳しい人はこの文章の間違いは寛大に見逃すか、優しく僕 (@shoe116)  まで連絡をくれたら嬉しい。

アイドルとそのファンについて

アイドルとそのファン(以下敬意を持ってヲタと表記する。昔は親衛隊といったらしい)は「互いに承認欲求を満たしあう、非常に都合の良い擬似的な恋愛関係にある」ということは、過去の当ブログのエントリ「ニセモノノコイガシタイ (アイドル現場とデール・カーネギーの密接な関係) 」で述べたとおりだ。残酷なまでに単純化すると

  • 無条件にチヤホヤして欲しいアイドル
  • 「いつもありがとう」といってもらいたいヲタ

の関係だ。

僕は行ったことないけど、マンガやドラマで見る限りキャバクラも似たようなものだと思う。このことは、別に僕だけが気づいているわけではない。FoggのCHEERZDeNASHOWROOM、DMMのyellはどれも「承認欲求」に着目したソーシャルゲームだ。「1つも知らねーよw」という人も多いと思うので、DEEPGIRLましろさんの味わい深いつぶやきを引用しておく。

アイドルは、ヲタからのcheerで常時ランキングされる。当然、承認欲求から彼女たちは上を上を目指す。ヲタはヲタで、そのアイドルにどれだけcheerしたかでランキングされる。アイドルからの承認を求め、ヲタもcheerに勤しむ。

勘のいい人は気づくと思う。そう、たくさん"cheer"するために、ヲタは相当額の課金が必要だ。 サービス運営側が過度なプロモーションをかけなくても、プレイヤーであるはずのアイドル側が自主的に「もっと課金してほしい」とヲタに呼びかける。本当に良くできたソーシャルゲームだ。なお、SHOWROOMについてもとてもわかりやすい事案を見つけたのだが、あまりに生々しくて直接引用することが躊躇われる。興味があったらこちらをご覧いただきたい。

アイドルとTOに見る神と預言者の関係

ヲタクの中に、"TO"と呼ばれる人が存在することを知っている人は、どれくらいいるのだろうか。「トップヲタ」、略してTOだ(ちなみに日本が誇る集合知Yahoo!知恵袋にはトップオタに関するQ&Aが存在する)。

TOを理解するには、アイドル-ヲタ界隈の構造を知る必要があるが、言葉だけで説明するのは困難なので、下記のようなイメージ図を用意した(「運営」については省略)。  あくまでも説明のためのイメージ図だ。あくまでも。

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fig.1 アイドルとTO、そして界隈の関係

 SNSが隆盛を迎えている現在でも、アイドルが全てのヲタと直接的なコミュニケーションをとることは困難である(そんなことをしていたら、リプ返している間に日が暮れてしまう)。一般に、アイドルとヲタのコミュニケーション基盤たるTwitterでも、ファン層の拡大とともに「リプは1日1回」「リプは気まぐれ」「リプ出来なくてごめんね」という状態遷移をたどる*1。しかし、アイドルとヲタの活動には

  • コールやミックスの作成と布教
  • 生誕祭やオフ会等のヲタの有志が主導するイベント
  • ライブの情報拡散や集客

等、「アイドル(神)とヲタ(信者)が協力して行うべき神事」が多くある。 特に生誕祭の成功には、界隈の威信がかかるため、有志の「生誕委員」による入念な準備とアイドル側との綿密なコミュニケーションが必要になる*2。そこで、登場するのが「預言者たるTOの存在」である。預言者は神の言葉を聴き、皆に広める。必要があれば神に問い、その答えを皆に伝える。このTOがハブとなり、アイドルを中心としたコミュニティが成長していくのである*3

アイドル現場で見られる「誰が考えたんだよw」という手の込んだ、それでいて一糸乱れぬコールやミックス、「誰がどうやって運営してんの?」という規模のファン有志企画の影には、TOとその側近界隈の、有力かつ有名な少数精鋭ヲタの大きな貢献があるのだ。

ここで、聖書の一説を引用したい。

あなたがた(教会)は使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。

(2:20)

 これはそのまま、以下のように置き換えることが出来るだろう。

あなたがた(ファン)はTOとその直属の界隈という土台の上に立てられており、アイドルご自身がその礎石です。

しかし、TOの負担は小さくない。スケジュール調整や企画運営、こまごまとした連絡、界隈間のトラブルの仲裁・・・。当然、彼らはそれらを無償で、自らの意思で行う。なぜ、アイドル現場ではそんなTOが湧き出てくるのだろうか。

TOの資質と権威、そしてアンバサダーマーケティングについて

 自分で、問題を提起しておいてなんだが、もう皆さん分かっていると思う。そう、承認欲求だ。TOには、下記の2つの資質が求められる。

  • アイドルによる、「この人が1番私を応援してくれている」という承認
  • ヲタ界隈による、「この人が1番彼女を応援している」という承認

この2つの承認を得るために、預言者たるTOは身を粉にしてライブに通い、そして神の言葉を聴き、それを皆に伝える。より信仰が広まるように、そしてより完成度の高い神事のために尽力するのだ。

"TO"のような、承認欲求を利用したマーケティング手法に、「アンバサダーマーケティング*4」がある。「FacebookTwitterに代表されるSNSの台頭によって、Webマーケティングは新しい時代に突入した。アンバサダーマーケティングである。」的な文章を見たことがある方もいるかもしれない(ちなみに、Webマーケティングは、プロ野球のドラフトにおける「10年に1人の逸材」やハリウッド映画で「全米が泣く」のと同じくらいの頻度で「新時代に突入」していると個人的に思っている)。

アンバサダーマーケティングについて、京井良彦 (@kyoi_y) さんの、アンバサダーにお金をあげないで! というアドタイのエントリを少し長文で引用させていただく。

(前略)
アンバサダーマーケティングとは、自社ブランドのファンを「大使」として任命することで、口コミなどでその評判を広めてもらえることを期待するものです。

(中略)

アンバサダープログラムで大事なことは、金銭的なインセンティブを付与しないことです。 例えば、料理レシピのクックパッドは、金銭的なインセンティブがなかったからこそ成長したことで有名です。 クックパッドのユーザーは、基本的に他のユーザーから評価されることが、レシピ投稿のモチベーションになっています。 それによって、質の高いレシピが集まり続けているわけです。 もしここにポイントプログラムのような金銭的インセンティブをつけてしまうと、ポイント目当てに何でもかんでも投稿するユーザーが増えて、投稿レシピの質が下がってしまいます。 ユーザーが欲しいのは、お金ではなく評価なのです。

 そして、最後のようにまとめられてる。

お金より評価や誇り。
こういったモチベーションは、人間だけが持つものです。
アンバサダーという「人を起点としたマーケティング」への取り組みは、こういったことを理解することから始まるのだと思います。

長くなってしまったので、僕もこのブログを以下のように結論付けたい。

  • アイドルを語る際、承認欲求は重要な要素であり、それに注目したwebサービス複数存在する
  • アイドル(神)とヲタ(信者)をつなぐTO(預言者)が存在する
  • TOの仕組みは、アンバサダーマーケティングのそれとほぼ等価である

最後に、僕の承認欲求の話(ライブ告知)

ライブします!僕と学生時代に一緒にギターを弾いたり歌ったり、研究してくれたりした愛知在住のフォークシンガー/フィドラー カツ氏が東京まで応援に来てくれます。

お暇な方、是非遊びに来てください!

詳細

  • 日時:10/18 (sun) 18:00 op, 18:30 st
  • 場所:下北沢ラグーナ (DaisyBarの1階)です
  • 費用:事前にとり置きの連絡いただければ、1000円 + ドリンク500円
  • 出演:しゅう、たかみや"dragon"りゅうすけ、杉田慧、宮元さゆり、吉川亮毅

僕の出演はトップバッター、18:30 - です。よろしくお願いします。

 

注釈等:

*1:

たとえば、でんぱ組.incのセンター古川未鈴さんのtwitterには現在も「レスできなくてごめんね!」の文字が残る。

twitter.com

*2:たとえば、でんぱ組.inc最上もがさんの生誕企画は、でんぱ組.incとそのファンコミュニティが大きくなった現在も有志のヲタにより企画・運営されており、以下のようなtwitterアカウントが存在する。なお、本人たちのエゴサーチにかからないように、鍵付きで運用されている。

twitter.com

 

*3:ちなみに、新旧預言者の関係や考え方の相違によって、時として周囲を巻き込んだ非常に面倒なイザコザに発展するのもTOと預言者の共通点だが、今回は触れないことにする

*4:

話を簡単にするために、この文章ではアドボケイター(Advocate)とアンバサダー(Ambassador)を区別せず、「アンバサダー」と呼ぶことにする。

サブカルにすらなれないラブソングのメロディ

僕がアコギを抱えて1人で恋の歌ったところで、別に世界はちっとも幸せにならないし、今日のあなたの仕事も楽にはならないし、もちろん日本のGDPにも全く貢献しない。僕はいわゆる”サブカル”が大好きだけれど、高々数十人にしか届かない僕の歌う歌なんて、サブカルどころか「サブカルにすらなれない歌」だ*1

45分の持ち時間(長い気がするよね、うん、本当に長かった)のうち、多分10分くらいは、適当なことを話していたと思うんだけど、結局話さなかったことがあって、それは「久しぶりにライブに出ようと思った理由」「このライブに来てくれた人に伝えたいこと」についてだ。でも、そんな個人的なことを書いても、ほとんどの人にはどうでもいいこと(これぞまさに「サブカルですらない」という所以!)だと思うので、まずはもう少し一般的なことを考えてみることにする。

芸術の授業とメインカルチャー

世の中には、頼まれもしないし、お金にもならないのに(というかむしろお金がかかる)、ライブをしたり、絵を描いたり、写真を撮ったりする人がいっぱいいる。そういえば、学校の授業には芸術(図工や美術、音楽に加え、書道も多分そうだ)の授業があるのに「なんで人は創作活動に精を出すのか」なんて教えてもらったことはない。まず、これについて考えてみようと思う*2

芸術の授業の座学で扱われるのは当然「メインカルチャー」で、音楽ならモーツァルトthe Beatles、絵画ならゴッホピカソで、僕はそれについて疑問も不満もない。人類共通の財産として、それらを学ぶことにはとても意味があるのだろう。

一方、芸術の授業にはもれなく実技がついてくる。音楽の授業は「音楽鑑賞」だけではなく、歌を歌ったり楽器を演奏したりしたし、美術の時間には絵を描いたり彫刻を作ったりした。何を書いたか全然覚えていないけれど、書道の時間には筆で字を書いた。こういうことを言うと色んな批判を浴びる気もするけれど、別に才能も技術もない普通の学生にこんな創作活動をさせても、いわゆる「メインカルチャー」の進歩に直接寄与するはずはなく、その生徒が奇跡的な才能と技量を発揮した場合でサブカル、大抵の場合は「サブカルにすらなれない」、せいぜい先生や友達、それに親や親戚に褒められる程度の作品しか生まれないはずだ。

でも、この実技にも(少なくとも税金をつぎ込むだけの)立派な目的があるはずだと文部科学省ホームページを漁っていたら、文化芸術振興基本法に辿り着いた。

文化芸術振興基本法サブカルチャー

僕は恥ずかしいことに法律の読み方を知らないので、とりあえずわかりやすそうな文化芸術振興基本法要綱をひと通り読んでみたのだけれど、つまりサブカル("にすらなれない"を含むと僕は理解した)で全く構わないから、とにかく芸術を創造することを推奨すると言っているんだと思う。その書き出しがわかりやすかったので、ここに引用する。

文化芸術を創造し,享受し,文化的な環境の中で生きる喜びを見出すことは,人々の変わらない願いである。また,文化芸術は,人々の創造性をはぐくみ,その表現力を高めるとともに,人々の心のつながりや相互に理解し尊重し合う土壌を提供し,多様性を受け入れることができる心豊かな社会を形成するものであり,世界の平和に寄与するものである。

なるほど、どうやら「文化芸術を創造」することは、僕に限らず「人々の変わらない願い」であるらしい。この要綱に書かれた価値観は、僕が事あるごとに引用している「人がみんな、感情をスピーディに且つ美しく表現して、それを享受した喜びでまた新しい価値観や世界がうまれて、そういう創造的な社会」*3に通ずるものがあって、国のお墨付きを頂いたようで、ほんのちょっと自信が持てた。こんな大切なこと、なんで学校の先生は教えてくれなかったんだろう?

僕は小中高と音楽の授業で歌をうたうのも、美術で絵を書くのも、国語で詩や文章を書くことも好きだったけれど、そんな自分は少し変わっていると思っていた。変なこと自体は全然嫌じゃなかったけれど、特に高校生の時は「そんなことよりも、もう少し運動神経が良くて体育が好きだったら幸せになれるのに」と信じて疑っていなかった。

サブカルにすらなれないラブソングのメロディ

最後に、僕が「なんでライブをしてみたか」「何が歌いたかったか」って話。

理由の1つめは当日少し話したんだけれど、つまり最近僕が何かと口にしている「承認欲求」というやつで、ものすごく簡単に言うと「曲書いたよ!練習したよ!褒めてー!!」という感情だ。もちろん、さすがにここまで僕の思考は単純ではないのだけれど、残念ながらそれをわかりやすい文章に起こすだけの力を僕は持っていなし、根本的な部分はその通りなので、もうそれでいい。わざわざ人前で金にならない自分で作った歌を歌うなんて、承認欲求以外の何物でもない。そして、とりあえず僕は気が済んだ(ついでに言うと、伸びていた髪をバッサリ切った)。

もう一つは「見てくれた人が何か創造的なことしたくなってくれればいいなぁ」という、文化芸術振興基本法に則ったもので(さっき調べたばかりなので結果論だけどねw)、僕の歌なんて大した価値はないのだけれど、見に来てくれた人が「久しぶりにライブやりたいなぁ」とか「あの程度でいいなら何かやってみようかなぁ」とか思ってもらえばいいなぁと思っていた。こちらに関しては、数人から直接「やりたくなった」と言ってもらえたので、とても嬉しかった。

そんなこんなで、自分でもびっくりするくらい長文になったけれど、何が言いたかったかというと

  • 見に来てくれた人、本当にありがとう!嬉しかった、また来てね!
  • 見に来てくれなかった人、また機会があったら来てね!予定は未定だけど!

ということでした。

ライブさせてもらったKAKADOさん、どうもお世話になりました。

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*1:

この「サブカルにすらなれない」という表現は、大森靖子さんの"hayatochiri"に習ったものです。

ねえ知ってた?サブカルにすらなれない歌があるんだよねえ知ってた?アンダーグラウンドは東京にしかないんだよ (大森靖子 "hayatochiri")

*2:

芸術の授業以外の、国語や数学についても「そもそも、この授業の背景はOOで、目的はXXです」なんて言われた記憶がないので、多分高校までの学校の先生は「そんなこと、生徒に伝えなくてもいいや」と思っているんだろう。確かに、小学生に言っても、難しすぎてわからない気もする。

大学の授業はシラバスで1番はじめにそれを説明してくれるので、嬉しかった。

*3:

もうそろそろしつこいかもしれない。大森靖子さんのブログあまい:2014年11月の一節で、

 

shoe116.hatenablog.com

 にガッツリ書いた。僕はインターネットやソフトウェアはこういう社会になる一助になると信じて、日々会社でエンジニアのお仕事をしている。