きっと、ずっと、会議は踊る

エンジニアリングとアイドルとロックンロール

僕が弾き語りが好きなたったn個の理由

はじめに言っておくと、このエントリはライブ告知です。

伝えたいのは

  • 日時:5/6 (水・祭) 19:00 -
  • 場所:KAKADO @お茶の水
  • ドリンク別1000円
  • 僕は19:45 - カバーとオリジナル交えてまったり弾き語りします
  • 来てくれたら大喜びするので、GW最終日お暇な方ぜひ来てくださいっ

だけなのだけど、それじゃBlogとしてあんまりだし、友人に「弾き語りについて書いてw」と言われたので一応書いてみることにする。

でも、大事なのはライブ告知で、もうその目的は済んだから理由の個数nはずっとnのままで、思いついたまま書き進めることにする。

そもそもの話

自分でも忘れていたけれど、そもそも僕がギターを弾けるのも、ハーモニカが吹けるのも、中学生の時(信じられないことに、15年前という大昔だ)にゆずが大好きだったからにほかならない。ゆず全曲集を買って、「バレーコードが出てこない好きな曲」から順にコピーした。「四時五分」「地下街」この辺りだ。サヨナラバスはB♭、夏色はF(カポ3)が出てくるから後回し。ちなみに、僕が初めてギターを練習した曲は、同時期に同じくらい好きだった19の「あの紙ヒコーキくもり空わって」で、この曲はいきなりF#mだから同じ理由で挫折した。

思えば

モスコミュールが大好きでした

目立つ事ばかり考えてました

毎日ノリノリでした

おだてられるのが好きでした

(『四時五分』 作詞・作曲: 北川悠仁)

なんて歌っていた中学生当時の僕は当然モスコミュールなんて飲んだことなくて、今の僕は当時の悠仁よりずっと年上になっているんだけれど(15年という歳月はそういうことだよね)、この前なんとなく歌ってみたら懐かしいというよりもとにかく楽しくて、「四時五分」は5/6も歌わせてもらうことにした。個人的に「男の恋愛の仕方とノートの字は14歳から成長しない」と考えているのだけど、僕にとってこの曲はそんな感じなのかも知れない。あの頃から成長していない価値観。

まぁ、つまり、そもそも僕は弾き語りが好きなんだ。これが1つ目の理由。

最近の話

学生の頃はバンドサークル(「フォークソング」を名乗っていたけど、全然違った。どこもそうなのかも知れない)でテレキャスターを持って(弾いて、とは書かないよ!)歌っていたので、弾き語りから少し離れていたのだけど、社会人になってから立て続けにギター弾き語りのミュージシャンにガッツリハマってしまった。

せっかくになので、その話を書こうと思う。

大森靖子さんの話

アイドルを見に行ったはずのTOKYO IDOL FESTIVAL 2013で、「ああ、やっぱり僕はアイドルじゃないんだ」と思い知らされた、少しだけ年下のシンガーソングライター。

shoe116.hatenablog.com

 でも紹介しているけど、曲終わりで拍手をすることさえ許されないような、圧倒的な場をコントロールする力と、「自分の考えや感情を素早く美しく表現する」という、弾き語りの魅力がたっぷり味わえる。

youtu.be

弾き語りのいいところは、シンプルが故に歌詞やその人の価値観に心置きなく浸れるところで、大森さんのライブに行くとそれはもうグッタリなわけです。

「才能に嫉妬する」って、こういうことを言うんだなぁと。

奇妙礼太郎さんの話

僕はプログラムを書くことでお金をもらっているけれど、お仕事をする上で「頑張り過ぎないこと」と、「手を抜かないこと」がとても大切だと思っている。僕は大抵の場合、「頑張りすぎ」て「最終的に手を抜く」ことになってしまっているけれど。

その点で、奇妙さんのライブはいつも自然体で、でも聞きにきている僕らに対して誠実で、そのバランスが奇妙というより絶妙だと思う。

youtu.be

 

松田聖子さんやユーミンのカバーも、CMでも使われてた「シャンゼリゼ」も素晴らしい(とても簡単に言うと、歌が上手なんだ)けれど、オリジナルの曲もとても良くて、こんなふうに歌が歌えたらなぁといつも思う。

そんなこんなで、1番大切なこと

いろいろ書いたけれど、弾き語りが好きな理由なんてどうでも良くて(ていうかnが曖昧で自分でも結局いくつかわからないw)

GW最終日、予定のない方はぜひお越しくださいませ。

そういえばライブハウスに1人で出るなんて、生まれて初めてだ!

 

ニセモノノコイガシタイ (アイドル現場とデール・カーネギーの密接な関係)

僕はアイドルが好きだ(でんぱ組.incNegiccoゆるめるモ!、プティパ等)。

アイドルという存在について、考えることべきこと、書いてみたいことがたくさんたまっているのだけど、1度にはとても消化しきれないので、今日はこの「好き」ということについて、極力客観的に考えてみたいと思う。そもそも「好き」という感情はとても主観的なもので、それを客観的に語ろうとするこのエントリには根本的な無理があるのだけど、それについては一旦棚に上げる。

なお、「棚に上げたまま、上げたこと自体を忘れる」ことは、比喩的な場合も、比喩的でない場合でも特に珍しいことではないので、今日のエントリもそれに習ってほんの数行で忘れることにする。もちろん、そのほうが都合がいいからだ。

つまり、恋だと言うこと

アイドルとそのファン(以降、敬意を持ってヲタと記載する)の関係は、一言でいうと信じられないほど都合の良い恋愛感情で繋がっている。それについては、篠原さんがほぼ完璧な見解をツイートされていたので、ここに引用する。

 このツイートそのものは理由はわからないけれど削除済みで、引用するのは少し気がひけるのだけれど、僕の日本語能力ではこれ以上の表現が不可能なのでこの際棚に上げる(そして忘れる)。 僕はアイドルの現場以外の、いわゆる普通のライブに行くことも多い(というかほとんどの場合アイドルではない)けれど、アイドルに限っては、この”両思い”という表現は言い得て妙だと思う。これについてもう少し掘り下げてみたい。

アイドルは多分ショービジネスではない

「ではない」を考えることが、論理的思考では重要だ。背理法に落とせるかも知れないし、そうでなくても思考の探索空間を確実に狭めることができる。

僕は斉藤和義さんやスピッツが好きだ。the Beatlesthe Rolling Stonesも好きだ。男性だと少し話がわかりにくくなってしまうかもしれないので、

 

shoe116.hatenablog.com

 でも紹介した女性ミュージシャン、大森靖子さんを例に出そう。

僕と彼女の関係は、簡単に言うと下記の3点だ。

  1. パフォーマンスと金銭の交換
  2. 彼女の才能への羨望
  3. 彼女とその作品への尊敬

彼女はいつの間にか、以前よりずっとずっと大きな会場で、遠くで歌っていることが多くなったけれど、僕と彼女のこの関係は20人くらい座ったら満席な小さなライブハウスで初めて見た時から根本的に変わっていない。先に上げた、せっちゃん*1やマサムネさん*2、ミックやキース*3に関しても同様だ。彼らの場合は、はじめからはるか遠くにいたけれど。つまり、これがショービズでありエンターテイメントなんだと思う。

アイドル現場(特に地下と呼ばれる界隈)で、上記3点を探すのは難しい。他のアイドルが舞台で踊っていても、ヲタの皆さんはお目当ての女の子の物販(というか接触機会)に夢中だし、AKB48を見ればわかるように、彼らはCDすら「音楽」ではなく「接触時間」として消費する。僕自身、大好きなもがちゃんと握手して、ほんの少しだけれどお話できる時間の幸福感は筆舌に尽くし難い。「アイドルに憧れる女ヲタ」を除けば、そこに尊敬や羨望はほとんど存在していない(この点で、女ヲタと通常のヲタは本質的に異なる)。

「アイドルの現場にあるのは、結局なんなのだろう?」とずっと考えていたのだけれど、それはつまり承認欲求を満たし合う、ノーリスクノーリターンな恋愛ごっこなんじゃないだろうかと、最近は思っている。

アイドル現場と承認欲求

カーネギー人を動かすという本を読んだことがある人は多いと思う。僕も会社の尊敬すべき先輩に、「結局どの本もこの本の焼き直しだ、と頭の良い人に言われたから、私はこれだけ読んだ」と言われたので、自己啓発本なんてほとんど読むことはないのだけど、頑張って読んだ(読んだというよりは、「目を通した」に近い、やっぱりあの手の本は好きじゃない)。その内容は、たった1行で要約できる。

承認欲求を満たせば人は動く

これだけだ。承認欲求。アイドルを語る上で、これ以上便利な言葉はないと思う。この本の第2章には、以下の様な「人に好かれる六原則」が書かれている。

  • 誠実な関心を寄せる
  • 笑顔で接する
  • 名前は、当人にとって、最も快い、最も大切な響きを持つ言葉であることを忘れない
  • 聞き手に回る
  • 相手の関心を見抜いて話題にする
  • 重要感を与える - 誠意を込めて
 
これは、もう紛れも無く、ヲタがアイドルとの接触で求めているものそのものだ。彼らはアイドルに、これらの承認欲求を満たされることを期待してお金を使う。

一方、アイドル側がヲタに求めるものはこの本の第1章「人を動かす3原則」にズバり書かれていて、それは以下の通りだ。

  • 非難も批判もしない。苦情も言わない
  • 率直で、誠実な評価を与える
  • 強い欲求を起こさせる
 
言葉を選ばないでかけば、アイドル達のゴールは「よくわからないけど、いろんな人にチヤホヤされる」ことであるように少なくとも僕には見えていて、そういう意味で彼女たちの求めているものも、また承認欲求だ。重要なのは「よくわからないけれど」という部分で、だからアイドルの歌は上手くなくて良いし、ずば抜けたダンスの才能は求められない。もっと言えば、女優さんみたいな整った容姿でなくて構わない。
以上のように、アイドルとヲタは互いの承認欲求を満たし満たされるステキな"両思い"の関係にあり、僕はこれを「ニセモノの恋」と呼びたい。
 

 ニセモノノコイガシタイ

本当の恋愛がハイリスクハイリターンだということは、恋愛経験の乏しい僕だって知っているし、少女漫画とか月9のドラマはそのリスクとリターンだけでストーリーが構成されていると言ってもいい。本物の恋愛が厄介なのは、「相手がある問題だ」ということに加え、「ココロとカラダの根本的な問題」であることから、一度始まってしまうとリスクヘッジが効かないということ(場合によっては始まることすらコントロール出来ないことがある、と言うのは「一目惚れ」という言葉が存在することから明らかだ)で、この点において、このニセモノの恋は、ヲタにとって非常に都合がいい。社会人になってからようやく分かったことだけど、自分でコントロール出来る範囲のお金と時間だけでリスクヘッジできるというのは、とても稀なことで、とてもありがたいことだ。

このニセモノの恋が1番わかりやすく反映されているのが「アイドルは彼氏を作ってはいけない」という、論理的に説明するのが難しいわりに納得するのは簡単な共通認識で、これはつまり、「(本当の)恋愛をするなんて契約違反だ」という主張だ。お金によってノーリスクノーリターンな恋を望む彼らと、ただただそのままの自分を認めてもらいたい彼女たちからすれば、まぁ確かに至極まっとうな取り決めであると言える。

とても長くなってしまったけれど、僕はだからアイドルが好きだ。

今夜はこの曲でお別れしましょう。Negiccoさんの「アイドルばかり聴かないで」

youtu.be

追記:スライドを作成しました

ひょんな事で発表する機会を得ましたので、スライドを作成しました。

www.slideshare.net

なお、資料にはぺろりん先生のイラストを引用という形で利用させていただいています。

 

備考等:

  1. ヲタの中には、この幸せなニセモノの恋ではなく、いわゆる「ガチ恋」でリスクを負っている人が存在する。この話をしだすと、大変ややこしくなるので、本エントリでは触れないこととした。
  2. この前Negicco赤坂BLITZのワンマンに行ってきたけれど、そこでは良質なショービジネスが展開されていて、僕は大満足だった。でも、まぁそれは別の話。

 

 

 

 

 

 

 

*1:斉藤和義さんの愛称

*2:スピッツのギターボーカル

*3:the Rolling Stonesのボーカルとギター

電王戦にみる機械とヒトの未来についての考察

小学生当時、市内のテキトーな子どもの大会(もちろん奨励会目指すような子たちは出ないヤツ)で優勝するくらいには強かった僕は、今でもほんとに時々だけど将棋を指したり、タイトル戦を眺めたりする。記憶が正しければ、小学校6年生の最後、将棋連盟公認でアマ1級だったと思う。

今のお仕事はbig dataとか機械学習(これをひとまとめにするのはどうかと自分でも思う)に馴染みが深いので、そういう意味もあって電王戦はとても興味深い。

 

ex.nicovideo.jp

特に僕が面白いと思うのは、

  • 人間と機械でブランチカットの仕組みが全く違う
  • ヒトは新しい進化のタイミングを迎えつつある

ということだ。

ブランチカットとヒステリシス特性

将棋の手を読むっていうのは、まぁつまり盤面の状態を探索をするってことで、全探索ができないのであの手この手でブランチカットをする。これは機械も人間も大体同じだ。ただ、致命的に異なる点があって、機械は「盤面を止められる」けれど人間の思考には「ヒステリシス(Hysteresis)」があるってことだ。

もっと具体的に言うと、人間は「状態の時系列」を利用してブランチカットをしている。これは、将棋の本を読んだことがある人にとっては当たり前のことなんだけど、将棋の本の盤面は大抵「最後に動いた駒がどれか」をマークしてあって(よくあるのはその駒が太字になってる)、これは、つまりそうしたほうが人間にとっては盤面を理解しやすいってことだ。TVの大盤解説でも、「現在の局面に至った過程」を簡単になぞった後に盤面の解説が始まる。

将棋のルールを考えれば、「次の手を読むのに、その盤面の瞬間以外にそれまでの時系列がいる」ってちょっと不自然で、A->B->C という変化が、A->B'->Cだったとしても次に指すべき手は"Cにおける最善手"にほかならない。つまり、過去は次の手を読むのに本質的には必要ない。ということは、ヒトは「これまでの状態遷移」を深く読むべき探索経路の決定、逆に言えば「読まない変化の決定」に使っているはずだ。「機械に勝てない」の定義に依ってしまうところではあるけれど、ミスとかbugとかを差し引いて、純粋に将棋というゲームについての理解度での勝ち負けを競うのであれば、「時系列によるブランチカットをされた、人間の読まない変化」の中に、「機械が探索できる、より良い手」が多くなってきたらもう人間に勝ち目はないと思う(今回のponanza戦なんかは、見ていて結構そんな感じの印象を受けた)。

あ、でもきっと羽生さんは盤面が止められるんだと思う。羽生マジックってつまり「普通の棋士だとブランチカットされるはずの中で見つかる最善手」なんだと思うから。

機械でヒトが今までより賢くなる話

今回のponanza先生の変化は、間違いなく棋士の先生たちにとっての相横歩取りの定跡、もっというと将棋観そのものに疑問を投げかけるものだと思っている。

つまり、これを元に新しい研究手が出てくるだろうし、今までは見向きもされなかった、機械が指すまでは時系列でブランチカットされたような変化も棋士の読みに入ってくるだろう。

ものすごく簡単にいえば、機械からヒトが学習するということだ。

今まで、ヒトはヒトや自然から学習すること、まぁ細かいことに気を使わないで言うと「神が作った何か」から学習することしかできなかったのに、機械という「ヒトの作った何か」から学習することができるようになった、と。

これって、つまり「ヒトがぐっと賢くなる可能性が大きく広がった」っていうことで、本当に素晴らしいことだと思う。「2001年宇宙の旅」でいうところのモノリス的な、ヒトの進化がすぐそこまで来ているんじゃないかな。

 

最後に、Ponanzaの作者の山本さんのこの記事はとても示唆に富んでいてお勧めです。

ponanza.hatenadiary.jp