『君の名は。』における、圧倒的なノスタルジーの実装について(ネタバレを恐れない新海誠賛歌)
はじめに
ようやく秋っぽい毎日が続いているので、久しぶりにBlogでも書く(書こうかなぁとは常日頃思っているが、こうやってエディタを開くところまで行かない*1)。今回は、新海さんの映画『君の名は。』が、相変わらずノスタルジックで最高だったという話を。別に、映画のレビューが書きたいわけでもないので、ネタバレ前提で好きに書く方針です、ごめんね。「興味ある人はもう見てるよね?」くらいのつもりで。公開から十分経ってるずれてるし、TVでもめっちゃ特集してるし、もういいかなぁと(僕は公開初日に見に行って、最近もう一度見た)。
僕にとって新海誠監督の映画は、少なくとも前作までは「圧倒的な完成度で実装された、映像美に基づくノスタルジーこそが魅力で、シナリオ自体はそれほど」だったのだけど、今回はシナリオの妙が、効果的にノスタルジーのインプリ(実装)に貢献していたので、自分の思考の整理のために、僕も僕なりの『君の名は。』賛歌を書いてみたい。
設計と実装について
何かを作る工程は設計(design)と実装(implementation)に分けられる。どういうわけか「デザイン」は一般的な日本語として通用しているのに、「インプリメンテーション」のほうはほとんど使われていない気がするので、実装 - Wikipediaからありがたく引用させて頂く*2。
実装というのは、理念的段階にとどまる何らかの機能を、具現化させること(実際に動く具体的なものとして現実世界に出現させること)である。
「設計と実装」は対で語られることが多い。何らかの機能を実現するための方法や枠組みを決定する抽象的な作業(別の表現で言えば、紙の上での作業や、モニタ上での作業)を設計と呼び、その機能を実際に動作させるための具現化(具体化)作業を実装と呼ぶ。
「機能」と書かれてしまうとピンとこない人は、「楽譜と演奏」とか「レシピと料理」を思い浮かべてもらえれば良いと思う。同じ楽譜でも、演奏者や指揮者によって全く違う解釈・演奏が生まれるし、同じレシピから作った料理が、どれも同じ味になることはありえない*3。
そして、これがとても重要なポイントなのだけれど、素晴らしい演奏や美味しい料理があるのと同様に、実装には「良い実装」と「悪い実装」があり、それは設計の良し悪しとは独立に、重要かつ致命的だ。結局のところ、モノのクオリティは実装によって支配される。
ノスタルジーを実装するということ
新海誠監督の作る映画に対する僕の感想は、いつだって決まっていて、「懐かしい、ただただ圧倒的に懐かしい」と言うものだ。『君の名は。』も、期待通り(と言うか期待以上)に、「ノスタルジー」という概念が的確に実装されていた。
背景と挿入歌にみるノスタルジーの実装
描きこまれた美しい背景は、いつも通り最高に懐かしかった。朝の満員電車や深夜のコンビニの雰囲気、自動販売機でところどころ明るい夜の帰り道、夕日に浮かぶ東京タワー。これらは、平成を生きる僕らにとっての紛れもない日本の原風景だ。トトロや三丁目の夕日に描かれる、「古き良き日本」より、ずっとリアリティのある、でも同じくらいノスタルジックな光景。もっと言えば、今作で効果的に使われていた「スマホのアラームで起きる」なんていうシーンすら、僕には懐かしく愛おしい。
RADWIMPSの挿入歌にしたってそうだ。
君の前前前世から僕は君を探し始めたよ
そのぶきっちょな笑い方を
めがけてやってきたんだよ
この世界観と音作り。誤解を恐れないで言えば、「完全にあの頃のBUMP」だ。ここで僕が言いたいのは、「RADWIMPSがBUMP OF CHICKENに似ている」とかそういうことではなくて、「もしあの頃(感覚的には中高生の頃だと思う)この映画が作られていたら、絶対BUMPが主題歌唄ってるな〜」と思わずにはいられないということだ(わざわざ書くまでもないことだとは思うが、歌っているのではなく、唄っているのだ。大きな声でりんりんと*4)。
これはどちらも、設計は明確で、そして僕を感傷的にするには十分効果的な「良い実装」だった。
シナリオに巧妙に描かれたノスタルジー
『君の名は。』は、簡単にいえば「由緒ある宮水神社の巫女三葉が、(本人は自覚がないまま)糸守とそこに住む人々を彗星から守るために彗星落下後を生きる瀧くんと入れ替わり、糸守を救う」という、ちょっと複雑なタイムリープもの*5だ。
“瀧くんモードの三葉”は、言ってしまえばドラゴンボールZのセル編における未来のトランクスとほぼ同じ役回りだが、『君の名は。』は本人たちが入れ替わっていることに気づいても、時間軸が違うことにしばらく気づかないというシナリオの妙がある。だからこそ2人は純粋に惹かれ合い、1200年周期でやってくる彗星から糸守を守るという神社に生まれた宿命*6的な恋をする。これを可能にしているのは、言うまでもなく“3年”という微妙な時間軸の移動を伴う“都会と田舎”という空間の移動だ。瀧くん(そして映画を見ている僕ら)だって、"入れ替わってる!?"の相手が3年前の東京の女子高生だったら当然瞬間的に理解するはずだ、これが過去であると*7。
そして、この設定こそが「ノスタルジーの実装」において何よりも重要だ。糸守の日常に描かれる異常な懐かしさは、気づいてしまえばむしろ当たり前のもので、つまりあれはちょっと前の僕が日々目にしていた日本そのものだ。“ちょっと前”とぼかしたのは、そこに描かれている日本の空気感はむしろ3年より少し前、具体的に言えば「3.11以前の日本」を僕が感じているからだと思う(というとカッコいいが、僕の最初の違和感は“三葉たちの持つスマホが、やたら小さい”ということだった、職業病)。お昼のTVは「いいとも」だし、自然災害なんてみんな忘れているし、JUMPにはこち亀が載っていて、SMAPだって解散の気配すら見せない、そんなちょっと前の日本。残念だけど僕の拙い表現力ではこの感覚を具体的な言葉で伝えることはとても不可能で、それでも「泣きそうになるくらい懐かしい、ちょっと前の日本」が圧倒的な完成度でそこにあった。
つまり何が言いたかったか
『君の名は。」最高だから、みんな見たほうが良いよ(ネタバレ思いっきりしたあとで言うのもアレだけど)。あ、あと実装力は正義。
今日の1曲は、もちろんこれです。RADWIMPSの『前前前世』。
*1:前回のエントリ
を眺めて驚愕した。
このエントリ、多分次回に続きます(前略)ということで今日はここまで、きゃりーぱみゅぱみゅさんの「ファッションモンスター」でお別れです。なんとか整理できたらきっと続き書きます。
うん、続きませんでした。忘れてましたw
*2:ちなみにWikipediaは僕が能動的に寄付している、ほとんど唯一に近いNPO団体。Wikipediaはインターネットと人類の夢だと思う。
*3:ちなみに、僕の唯一名前を覚えているクラッシックの指揮者でアルトゥーロ・トスカニーニという人がいる。学生時代、地元の図書館でドサッと借りてきたCDに偶然数枚彼の指揮するNBC交響楽団の紛れ込んでいて、それがとても好みだったのだ。簡単に言うと、アップテンポかつ派手で、聞いていて全然退屈しない。
*4:みんな大好きBUMP OF CHICKEN 『ガラスのブルース』より引用
*5:クライマックスのシーンは当然パラレルワールドの描写で、つまり瀧くんと三葉は僕らが知っている2人ではないのだが、他の人に話を聞くとそれがあんまり伝わってない気がした。ちなみに、タイムリープものは最終的にパラレルワールドか無限ループのどちらかに帰着する
*6:個人の見解ですが、瀧くんが守りたいのは、三葉というより糸守そのものな気すらしている。つまり、それも結び。
*7:もっというと、瀧くんがiOS、三葉がAndroidというのもそれにとても貢献していて、映画館で「おお!なるほど!」って言いそうになったが自重した。職業病・・・
かわいいの分類学(facebookがおっさんにまみれた、たった1つの理由 前編)
はじめに
「書きたいことは結構あるのに、いざ書こうと思うと何となくめんどくさくて書かない」日々が続いていました。そんな僕がブログを書くということは、そういうことです。ギターをもって歌うので、お暇でしたら遊びに来てください。
- 7/10 12:00 op, 12:30 st @下北沢ラグーナ
- しゅう (@shoe116) までご連絡いただければ ¥1000(D 500別)で入れます
- 詳細は もしもしセカイ — schedule をご参照ください
ちなみに、今日は女の子のファッションについて触れるけど、僕自身は全然おしゃれじゃないし、“Tシャツにジーンズとコンバース”が似合う女の子が好きで、それが「スタイルが良くて顔がかわいい子が好き」と公言していることとほとんど等価であることは自覚している*1。なお、このエントリ中に登場する「女の子」は、アイドルにあふれる僕のTwitter・Instagramのタイムラインと、小学生の頃から蓄積した少女漫画から得た知識をもとに僕が1人で構築(人はこれを妄想と呼ぶのかもしれない)した、偶像的なものであることをはじめに断っておく。
かわいいの分類学
「モテ」と「かわいい」について
僕は、世間一般の同世代の男性と比べて、圧倒的に“かわいい”について考えている時間が長いと思う。僕がこのエントリで1番伝えたいのは、女の子のいう「かわいい」と「モテ」は全く違う価値基準であるということだ。僕は長い考察と注意深い観察の末、下記の結論に達した。
- モテ:有限なリソースの奪い合い
- かわいい:新しいリソースの創出
リソースという言葉がわかりにくければ、「ヒト・モノ・カネ」といっても良い。「モテ」が、有限なリソースの奪い合いであることは、誰もが実体験を持って理解できるはずだ。モテは、残酷なまでのゼロサムゲームであり、あなたがモテるということは、僕がモテないことと等価である。対して、彼女たちの言う「かわいい!」という言葉は、創出された資源に対する感謝・賞賛の声として解釈できる。
かわいいを分類する
概念の理解する際、役に立つのが分類である。なぜなら、概念とは
①同類のもののそれぞれについての表象から、共通部分を抜き出して得た表象(岩波 国語辞典)
であり、「同類のものをまとめ、全体を幾つかの集まりに区分する」という分類作業と表裏一体の関係にあるからだ。概念の理解と分類が限りなく近い問題であることは、Deep Learning(深層学習) の定番サンプルがMNISTと呼ばれる、手書きの数字(0 - 9)データセットの分類であることからも分かる通りであり、連続的な光のスペクトルであるはずの虹の色を、赤橙黄緑青藍紫の7つに分けられる理由もこれだ。
ところで「かわいい」の分類には定番のものが既に存在しており、つまり女性ファッション誌でいう「赤文字」と「青文字」がそれだ。ご存じない方もいると思うので、簡単にWikipediaを引用する。
「赤文字系」は明確に定義が決まっている
JJ、ViVi、Ray、CanCamの4誌、またはそれらにPINKYを加えた5誌を指す。各誌とも題字が赤またはピンクなどの赤系色であることからこの名称がつけられた。(中略)
いずれもコンサバファッションを扱っており、また各誌ともファッション・メイク・ヘア関連のみならず、芸能、グルメ、旅行、就職、恋愛など、この年代の女性の関心の高い情報の掲載も力を入れている。
対して、青文字系には諸説あるが、下記に説明が一番都合がいいので今回はこの定義に従う。
「青文字系」という言葉はアソビシステム株式会社代表の中川悠介が命名した。同社が主宰する原宿系イベントがテーマにするファッション性を、赤文字系と区別するために便宜上名付けたのが起源といわれている。
つまり、“青文字 = not 赤文字”だ。僕は以前勘違いしていたのだけれど、女の子にとってこの2つのファッションはattributeではなくoccasionであり、様々な外部要因や気分によって適切に使い分けるものらしい。例えば青文字の代表格であるきゃりーぱみゅぱみゅすらCanCamの表紙を飾るとこうなる(左・赤文字)。参考までに、Zipper(右・青文字)の彼女を上げておく。
どちらのきゃりーちゃんもとても“かわいい”のだけれど、そのかわいさは全く異質であることがわかっていただけると思う(引用:初の赤文字系ドキドキ|きゃりーオフィシャルブログ)。
僕は赤文字のファッションの根底にあるのは、紛れも無く「モテ」であると思っている。青文字は前述のとおりモテ以外のすべてを含む、すべての「かわいい」を指すが、1つの大きな基底要素はおそらく自己表現だ*2。保守的な女性らしいかわいさと、現代的な自分らしいかわいさと言い換えることもできるだろう。
重要なのは、最終的に「かわいい」に昇華される必要があることであり、モテ・自己表現のそのものは「かわいい」ではないという点だ。隠蔽されないモテは攻撃的で恐怖・嫌悪の対象であり、むき出しの自己表現は往々にしてイタいと嘲笑される。
このエントリ、多分次回に続きます
実のところ、このエントリの当初のテーマは「かわいいの分類」ではなく、facebookがおっさんまみれになった理由の考察であった。フェイスブック:「おじさん」が穴埋め? 10代が45%から27%に減少 - 毎日新聞 というような記事を引用する必要もないくらい、実感としてfacebookのニュースフィードにはおっさんが溢れているし、ネット上では多くの人がその理由を分析・解説している。僕個人としては、「モテたいおっさんが増えすぎた」のが最大の理由だと思っていて、なんとか言語化しようと頑張ったんだけれど、かわいいの話(というかかわいいとモテは違うという話)をしたところで力尽きてしまった。
ということで今日はここまで、きゃりーぱみゅぱみゅさんの「ファッションモンスター」でお別れです。なんとか整理できたらきっと続き書きます。7/10のお昼のライブ*3よろしく、遊びに来てね!
*1:僕が一番かわいいと思っている女の子として、映画「好きだ、」の宮崎あおいさんと「100万円と苦虫女」の蒼井優さんを上げておこうと思う。興味があったら是非見てほしい。
*2:僕はその代表格が、休刊してしまったオリーブ(Olive)だと思っている
*3:しつこいようだが、詳細を。
- 7/10 12:00 op, 12:30 st @下北沢ラグーナ
- しゅう (@shoe116) までご連絡いただければ ¥1000(D 500別)で入れます
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相関と因果のがいねんと、マーケティングとの関係について、わかりやすい例を上げて考えてみた
とりあえず
この前は最後にしたけど、とりあえず告知的なのを最初に書いておく。告知することがないと、blogを書く気にならないのは自分でもどうかと思うが、まあ仕方がない。
- 日時:2016.04.22(金)
- 値段:¥1,000 + Drink (2D ¥1,000/飲み放題 ¥2,000)
- 場所:高円寺CLUB LINER
- その他:ローストビーフ丼とお菓子が食べれるらしい。多分僕は20時くらいからだけど、飲み放題だから、適当に来てずっと飲んでいればいいと思う。
「金曜日だから」「酒飲みたい」くらいの、各人にとって都合のいい理由で遊びに来てくれたら泣いて喜ぶ(出演者も飲み放題っぽい、ただただ楽しみw)。
はじめに:“がいねん”について
「数式を並べるんじゃなくて、概念を説明してほしい」的なことを言われた経験がある、いわゆる理系な人は僕だけじゃないはずだ。概念の辞書的な意味は
①同類のもののそれぞれについての表象から、共通部分を抜き出して得た表象
②対象を表わす用語について内容がはっきり決められ適用範囲も明確な意味(岩波 国語辞典)
なので、一般化された数式ほど概念を伝えるのに適した表現方法もないのになぁとずっと不思議だったのだけど、就職活動をしている辺りで僕は気づいた。どうやら、「概念を説明して欲しい」というのは、「抽象化された数式は難しくて理解できないので、具体例を上げて説明してほしい」という意味で日本のサラリーマンの中で用いられる隠語だ。初めて見る数式を、すぐに理解できないことなんて、(少なくともそんなに数学が得意じゃない僕にとっては)日常茶飯事のことなのに、なんでこんなわかりにくい表現を使うんだろ?バカだと思われるのが嫌なのかなぁ・・・?誰もそんなこと思わないと思うんだけど。
ということで、不幸な誤解を避けるために、この隠語を以後“がいねん”と表記し、辞書的な意味である概念とは明確に区別することにする。とても大切なことなのでついでに書いておくと、数式の「見た目の難しさ」と「(辞書的な意味での)概念の難しさ」は何の関係もない。特殊相対性理論の質量とエネルギーの等価性を示す、"E=mc^2"の見た目はとても簡単だけれど、その概念を僕は理解できない。
マサカリを投げられても困るのではじめに断っておくが、僕は数学的に正しく伝える気は全く無い。ちゃんと概念を理解したい人は、数式が載っている本なりwebページを参考にしてほしい。
相関と因果の“がいねん”について
相関と因果の関係
このエントリでは、「片方の数値が変化すると、もう一方の数値も変化する」関係を相関と呼ぶことにする。また、「片方の数値の変化が原因で、もう一方の数値が変わる」という関係を因果と呼ぼう。
こう書くと、紛らわしいし、相関と因果って似てるのかな?と思う人がいるかもしれないが、この2つは全く別の関係だ。簡単な例を出して説明したい。
「傘を持って家を出る人の割合」と「その日の降水確率」
この2つには、相関がある。傘を持って家をでる人の割合が多い日は、降水確率がきっと高い。逆に、降水確率が高ければ高いほど、多くの人が傘を持って家を出るだろう。因果かどうかは、傘を持って家を出る人の割合を増やしたらどうなるかを考えればよい。もし「因果かも!」と思えた人は、一刻も早く「世界の水不足に悩む地域で、傘を持って家を出る人を増やす」という活動をはじめていただきたい。勘違いのしようがないくらい、相関と因果は異質なものだ。
ちなみに、「相関関係であって、因果関係ではない」ということはとても簡単に起こる。例えば、「同じように増加する2つの指標」には全部相関がある。ちょうどいい例があったので載せておく*1と、「自閉症(Autism)とオーガニックフードの売上(Organic Food Sales)」には以下の様な関係がある。
相関係数(どれくらい相関があるか、という数字。1に近ければ近いほど相関がある)は0.9971。素晴らしい。なんでこんな相関があるかは分析するまでもなく、つまり偶然だ。
因果は相関と別にある
せっかくなので、今度はマーケティングに役立ちそうな例題でも考えてみよう。
[問1]
ある広告と、ある商品の購買に相関がありました。その商品をもっと売るには、どうすればいいでしょう?
[問2]
あなたは居酒屋の店長さんです。常連さんを観察したら、あるメニューが大人気であることがわかりました。
そのメニューをお客さんみんなにオススメしたら、常連客は増えるでしょうか?
何も考えずに、「相関があるから簡単だ!」と思ったマーケッターのみなさんは、明日にでも「世界の水不足に悩む地域で、傘を持って家を出る人を増やす」というキャンペーンを始めてほしい。大丈夫、きっとうまくいかない*2。
大切なのは、問題の難しさを理解することだ。散々書いてきたように、相関は因果を教えてくれない。月の満ち欠けと潮の満ち引きに相関があることは昔から観察結果として知られていたが、それが万有引力で説明された*3のはずっと後のことだ。ここで重要なのは、ニュートンが見ていたのは“木から落ちるりんご”であって、月でも潮でもないということだ(ここでは文章のテンポとリズムを優先して、こういう書き方をしているが、正直なところこの表現は僕の真意ではない*4)。相関から因果関係を説明するには“明確な理由”が他に必要で、「相関があるから」と言うのは理由にならない。広告と購買にも、常連さんに人気なメニューも、何か別の理由で因果を説明できてしかるべきだ。例えば「カメラを構える宮崎あおいがかわいい」とか、「そのメニューが安くて美味しい」とか。
最後に
結局のところ何が言いたかったというと、僕がブログを書く頻度と、歌を人前で歌う日程*5には相関があるということだ。
新譜も出るみたいなので、今日は相対性理論の「LOVEずっきゅん」でお別れです。
*1:以下よりありがたく引用させていただく。
こんなのもあった。海賊の減少が、地球温暖化の原因という説があるらしい。さすが空飛ぶスパゲッティ・モンスター教は奥が深い。
*2:かつてないほど煽り口調なのは、某K氏から、前回のエントリ
について「大人しすぎる」「もう少し煽ったほうが面白いのでは?」というありがたいfeedbackを頂いた事による。
*3:もしかしたら知らない人がいるかもしれないから、国立科学博物館の「宇宙の質問箱」を貼っておこう。対象読者をどれくらいの層に設定しているかわからないけれど、とても科学に対して真摯な説明だった。さすが。
*4:言いたかったこと以上のことが
に記載されていたので、ここではこれをありがたく紹介するに留める。
*5:冒頭にも書いた。
- 日時:2016.04.22(金) きっと20時くらい
- 値段:¥1,000 + Drink (2D ¥1,000/飲み放題 ¥2,000)
- 場所:高円寺CLUB LINER