人工知能ポエムとシンギュラリティについてのエッセイ
はじめに:人工知能ポエムについて
そもそも僕のブログは"無責任なエッセイ"でしかありえないのだけれど、今回わざわざタイトルに含めたのには、最近巷で流行っている"人工知能ポエム"と明確に区別するためだ。ちなみに、この"人工知能ポエム"というのは、僕が勝手に作った人工知能についての記事のラベル*1で、"技術に明るくない人たちが、その叙情感を楽しむ、人工知能についての良質な散文"を意味し、このあたりが該当する(僕がポエムと評しているのは、文体や表現も含めた記事そのものであって、決してこれらの記事で扱われている方々の発言そのものではない点に注意されたい)。
せっかくなら僕もこの流行に乗ってみようと頑張ったのだが、圧倒的に文章の才能が足りず挫折、残念ながらいつも通りエッセイ風になってしまった*2。どうしても理屈っぽくなってしまって、狙った叙情感が出せなかったのだ(ああ、才能がほしい)。
人工知能とシンギュラリティと生産性
多分この人工知能(AI)とかシンギュラリティ(技術的特異点)とかいうキーワードが、俳句でいう"季語"みたいに叙情感を醸し出す強力な助けになるので、ポエマー界隈で人工知能ポエムが盛り上がっているのだと思うのだけど、ここでは彼らとはちょっと違う観点でこれらについて考えてみたいと思う。
道具の発展と生産性の歴史
人工知能と言っても所詮はヒトの"道具"なので、人と道具の歴史をざっと振り返ってみる。
- 3,000,000年前、道具を使い出す
- 300,000年前、言葉を使い出す
- 3,000年前、文字を使い出す
- 500年前、 科学を使い出す
- 50年前、コンピュータを使い出す
- 今年、囲碁でヒトがコンピュータに負ける
- 30年後、シンギュラリティ(予定)
これら道具の恩恵を受けながら、ヒトという種は他の動物と一線を画し繁栄しているのだが、下*3に示すように「道具の発展の歴史」はそのまま生産性の向上の歴史*4だ。
ビッグデータと機械学習、そして予測制御と生産性の爆増について
上の図を見ると、シンギュラリティの少し手前から異常とも思えるような生産性の爆増が起こる事になっているが、これはそれほど不可解なことではない。観測・予測制御の技術的革新によって生産性が飛躍的に上昇することはこれまでも度々起こっていて(農耕の開始とか産業革命なんかがその好例だ)、今まさにその技術革新真っ只中なのだから。
予測制御とは、簡単に言うと
- 観測(状態の取得)
- 観測に基づく予測
- 予測による制御
によって状態を制御する方法だ。現代制御の世界では常識だけれど、「可観測(見える)」であることと「可制御(動かせる)」であることは全く別の問題で、でも「その系が安定(頑張れば思い通りに動かせる)」であるためには「可制御かつ可観測」であることが必要条件だ*5。
世に言われているシンギュラリティ(技術的特異点)は、「人より人工知能が賢くなること」みたいに説明されて、そこにビッグデータと機械学習が絡まって叙情感のあるポエムが量産されているけれど、この観点でみると結構スッキリ解釈できると思っていて、今この界隈で騒がれている、ドイツ政府の言うところの「第4次生産革命」は、つまりこういうことだ。
3については幸か不幸かまだあまり実感がないけれど、1, 2に関しては信じられないような速度で進捗しているのは、みんななんとなく感じているところだと思う。
ヒトの仕事と人工知能
さて、人工知能を語るときにこのは話題を出さない訳にはいかないだろう。繰り返しになるが、AIの恩恵を受けられる(ネガティブに言えばAIに奪われる)仕事は、今のところ「観測をもとに予測制御できる仕事」に限られる。現在ヒトが手に入れた機械学習ベースの人工知能は、つまるところ観測と統計処理に基づく予測制御機にすぎないからだ*6。オックスフォードのオズボーン准教授ははっきりそう言っていて、だからこそ観測技術の重要性を解いているのだが、どういうわけか前述の記事ではあまりそれが伝わってこない(たぶんポエムの叙情感の犠牲になったのだ)。
上記で紹介した3作品に限らず、ポエマー界隈では「単純な作業はAIの独壇場になり、ヒトはもっとクリエイティブな仕事をすることになる」と語られることが多い気がするが、これはもう根本から間違った議論だ。そもそも、コンピュータと人間の脳は思考のプロセスがまったくもって異なるので、人間にとって"単純な作業"がAIにとって簡単とは限らないし、逆に"クリエイティブな仕事"がAIに難しいとも限らない。将棋のAIが強くなるずっと前から、最終盤で詰みをよむこと(これは人間にとって単純な作業ではない)は人間を凌駕していたし、序盤に誰も見たこともない構想を見せたりしていた(強くなった昨今の将棋AIは、むしろ人間の真似ばかりしている)。その一方で、手書きの数字を人と同レベルに識別できるようになったり、猫を猫とわかるようになったのは、つい最近のことだ。
まとめ:所詮生産性が上がるだけ
これだけ人工知能がもたらす生産性の向上について書き進めてきて、こうまとめてしまうのもアレだとは思うが、個人的には"特定分野の生産性の向上"、つまり部分的に効率が良くなることで解決する問題なんてたかが知れていると思っている。
かつての産業革命が世界平和に全く寄与しなかったように、シンギュラリティも世界平和や領土問題にそれほど貢献するように思えないし、子育てとか介護は"予測制御できない"のが恐らく根本的な問題だ。手紙→電話/メール→LINEと手段の進歩で確実にコミュニケーションコストは減っているのにもかかわらず、恋愛の難しさ自体はほとんど変化していない(と思う、もし簡単になっているんだとしたら、昔の人には尊敬の感情しかない)。つまり、今本当に解決しなきゃいけない問題に関しては、ほとんど無力なんじゃないだろうかとすら思える。
だから何だってことなんだけど、便利になる自体は喜ばしいことなので、あんまり心配しないでとりあえずベイビーレイズ JAPANを聞いたらいいんじゃないかな、暦の上ではディセンバーだし。
注釈等
*1:正確に言うと、中山ところてん (@tokoroten)さんが機械学習ビジネス研究会の参加者募集時に“機械学習ポエム”という単語を使用されており、それに影響されたものだ
*2:ちなみに、この文章はちょうどいいタイミングでお仕事で流用する運びとなり、そちらのほうが先に展開されてしまった。こちらがオリジナルで、あっちがコピペなので色々見逃してほしい
*4:この文章を書くうえで、この"What Happened Before History? Human Origins"という動画には大いに影響を受けた