きっと、ずっと、会議は踊る

エンジニアリングとアイドルとロックンロール

サブカルにすらなれないラブソングのメロディ

僕がアコギを抱えて1人で恋の歌ったところで、別に世界はちっとも幸せにならないし、今日のあなたの仕事も楽にはならないし、もちろん日本のGDPにも全く貢献しない。僕はいわゆる”サブカル”が大好きだけれど、高々数十人にしか届かない僕の歌う歌なんて、サブカルどころか「サブカルにすらなれない歌」だ*1

45分の持ち時間(長い気がするよね、うん、本当に長かった)のうち、多分10分くらいは、適当なことを話していたと思うんだけど、結局話さなかったことがあって、それは「久しぶりにライブに出ようと思った理由」「このライブに来てくれた人に伝えたいこと」についてだ。でも、そんな個人的なことを書いても、ほとんどの人にはどうでもいいこと(これぞまさに「サブカルですらない」という所以!)だと思うので、まずはもう少し一般的なことを考えてみることにする。

芸術の授業とメインカルチャー

世の中には、頼まれもしないし、お金にもならないのに(というかむしろお金がかかる)、ライブをしたり、絵を描いたり、写真を撮ったりする人がいっぱいいる。そういえば、学校の授業には芸術(図工や美術、音楽に加え、書道も多分そうだ)の授業があるのに「なんで人は創作活動に精を出すのか」なんて教えてもらったことはない。まず、これについて考えてみようと思う*2

芸術の授業の座学で扱われるのは当然「メインカルチャー」で、音楽ならモーツァルトthe Beatles、絵画ならゴッホピカソで、僕はそれについて疑問も不満もない。人類共通の財産として、それらを学ぶことにはとても意味があるのだろう。

一方、芸術の授業にはもれなく実技がついてくる。音楽の授業は「音楽鑑賞」だけではなく、歌を歌ったり楽器を演奏したりしたし、美術の時間には絵を描いたり彫刻を作ったりした。何を書いたか全然覚えていないけれど、書道の時間には筆で字を書いた。こういうことを言うと色んな批判を浴びる気もするけれど、別に才能も技術もない普通の学生にこんな創作活動をさせても、いわゆる「メインカルチャー」の進歩に直接寄与するはずはなく、その生徒が奇跡的な才能と技量を発揮した場合でサブカル、大抵の場合は「サブカルにすらなれない」、せいぜい先生や友達、それに親や親戚に褒められる程度の作品しか生まれないはずだ。

でも、この実技にも(少なくとも税金をつぎ込むだけの)立派な目的があるはずだと文部科学省ホームページを漁っていたら、文化芸術振興基本法に辿り着いた。

文化芸術振興基本法サブカルチャー

僕は恥ずかしいことに法律の読み方を知らないので、とりあえずわかりやすそうな文化芸術振興基本法要綱をひと通り読んでみたのだけれど、つまりサブカル("にすらなれない"を含むと僕は理解した)で全く構わないから、とにかく芸術を創造することを推奨すると言っているんだと思う。その書き出しがわかりやすかったので、ここに引用する。

文化芸術を創造し,享受し,文化的な環境の中で生きる喜びを見出すことは,人々の変わらない願いである。また,文化芸術は,人々の創造性をはぐくみ,その表現力を高めるとともに,人々の心のつながりや相互に理解し尊重し合う土壌を提供し,多様性を受け入れることができる心豊かな社会を形成するものであり,世界の平和に寄与するものである。

なるほど、どうやら「文化芸術を創造」することは、僕に限らず「人々の変わらない願い」であるらしい。この要綱に書かれた価値観は、僕が事あるごとに引用している「人がみんな、感情をスピーディに且つ美しく表現して、それを享受した喜びでまた新しい価値観や世界がうまれて、そういう創造的な社会」*3に通ずるものがあって、国のお墨付きを頂いたようで、ほんのちょっと自信が持てた。こんな大切なこと、なんで学校の先生は教えてくれなかったんだろう?

僕は小中高と音楽の授業で歌をうたうのも、美術で絵を書くのも、国語で詩や文章を書くことも好きだったけれど、そんな自分は少し変わっていると思っていた。変なこと自体は全然嫌じゃなかったけれど、特に高校生の時は「そんなことよりも、もう少し運動神経が良くて体育が好きだったら幸せになれるのに」と信じて疑っていなかった。

サブカルにすらなれないラブソングのメロディ

最後に、僕が「なんでライブをしてみたか」「何が歌いたかったか」って話。

理由の1つめは当日少し話したんだけれど、つまり最近僕が何かと口にしている「承認欲求」というやつで、ものすごく簡単に言うと「曲書いたよ!練習したよ!褒めてー!!」という感情だ。もちろん、さすがにここまで僕の思考は単純ではないのだけれど、残念ながらそれをわかりやすい文章に起こすだけの力を僕は持っていなし、根本的な部分はその通りなので、もうそれでいい。わざわざ人前で金にならない自分で作った歌を歌うなんて、承認欲求以外の何物でもない。そして、とりあえず僕は気が済んだ(ついでに言うと、伸びていた髪をバッサリ切った)。

もう一つは「見てくれた人が何か創造的なことしたくなってくれればいいなぁ」という、文化芸術振興基本法に則ったもので(さっき調べたばかりなので結果論だけどねw)、僕の歌なんて大した価値はないのだけれど、見に来てくれた人が「久しぶりにライブやりたいなぁ」とか「あの程度でいいなら何かやってみようかなぁ」とか思ってもらえばいいなぁと思っていた。こちらに関しては、数人から直接「やりたくなった」と言ってもらえたので、とても嬉しかった。

そんなこんなで、自分でもびっくりするくらい長文になったけれど、何が言いたかったかというと

  • 見に来てくれた人、本当にありがとう!嬉しかった、また来てね!
  • 見に来てくれなかった人、また機会があったら来てね!予定は未定だけど!

ということでした。

ライブさせてもらったKAKADOさん、どうもお世話になりました。

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*1:

この「サブカルにすらなれない」という表現は、大森靖子さんの"hayatochiri"に習ったものです。

ねえ知ってた?サブカルにすらなれない歌があるんだよねえ知ってた?アンダーグラウンドは東京にしかないんだよ (大森靖子 "hayatochiri")

*2:

芸術の授業以外の、国語や数学についても「そもそも、この授業の背景はOOで、目的はXXです」なんて言われた記憶がないので、多分高校までの学校の先生は「そんなこと、生徒に伝えなくてもいいや」と思っているんだろう。確かに、小学生に言っても、難しすぎてわからない気もする。

大学の授業はシラバスで1番はじめにそれを説明してくれるので、嬉しかった。

*3:

もうそろそろしつこいかもしれない。大森靖子さんのブログあまい:2014年11月の一節で、

 

shoe116.hatenablog.com

 にガッツリ書いた。僕はインターネットやソフトウェアはこういう社会になる一助になると信じて、日々会社でエンジニアのお仕事をしている。