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電王戦にみる機械とヒトの未来についての考察

小学生当時、市内のテキトーな子どもの大会(もちろん奨励会目指すような子たちは出ないヤツ)で優勝するくらいには強かった僕は、今でもほんとに時々だけど将棋を指したり、タイトル戦を眺めたりする。記憶が正しければ、小学校6年生の最後、将棋連盟公認でアマ1級だったと思う。

今のお仕事はbig dataとか機械学習(これをひとまとめにするのはどうかと自分でも思う)に馴染みが深いので、そういう意味もあって電王戦はとても興味深い。

 

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特に僕が面白いと思うのは、

  • 人間と機械でブランチカットの仕組みが全く違う
  • ヒトは新しい進化のタイミングを迎えつつある

ということだ。

ブランチカットとヒステリシス特性

将棋の手を読むっていうのは、まぁつまり盤面の状態を探索をするってことで、全探索ができないのであの手この手でブランチカットをする。これは機械も人間も大体同じだ。ただ、致命的に異なる点があって、機械は「盤面を止められる」けれど人間の思考には「ヒステリシス(Hysteresis)」があるってことだ。

もっと具体的に言うと、人間は「状態の時系列」を利用してブランチカットをしている。これは、将棋の本を読んだことがある人にとっては当たり前のことなんだけど、将棋の本の盤面は大抵「最後に動いた駒がどれか」をマークしてあって(よくあるのはその駒が太字になってる)、これは、つまりそうしたほうが人間にとっては盤面を理解しやすいってことだ。TVの大盤解説でも、「現在の局面に至った過程」を簡単になぞった後に盤面の解説が始まる。

将棋のルールを考えれば、「次の手を読むのに、その盤面の瞬間以外にそれまでの時系列がいる」ってちょっと不自然で、A->B->C という変化が、A->B'->Cだったとしても次に指すべき手は"Cにおける最善手"にほかならない。つまり、過去は次の手を読むのに本質的には必要ない。ということは、ヒトは「これまでの状態遷移」を深く読むべき探索経路の決定、逆に言えば「読まない変化の決定」に使っているはずだ。「機械に勝てない」の定義に依ってしまうところではあるけれど、ミスとかbugとかを差し引いて、純粋に将棋というゲームについての理解度での勝ち負けを競うのであれば、「時系列によるブランチカットをされた、人間の読まない変化」の中に、「機械が探索できる、より良い手」が多くなってきたらもう人間に勝ち目はないと思う(今回のponanza戦なんかは、見ていて結構そんな感じの印象を受けた)。

あ、でもきっと羽生さんは盤面が止められるんだと思う。羽生マジックってつまり「普通の棋士だとブランチカットされるはずの中で見つかる最善手」なんだと思うから。

機械でヒトが今までより賢くなる話

今回のponanza先生の変化は、間違いなく棋士の先生たちにとっての相横歩取りの定跡、もっというと将棋観そのものに疑問を投げかけるものだと思っている。

つまり、これを元に新しい研究手が出てくるだろうし、今までは見向きもされなかった、機械が指すまでは時系列でブランチカットされたような変化も棋士の読みに入ってくるだろう。

ものすごく簡単にいえば、機械からヒトが学習するということだ。

今まで、ヒトはヒトや自然から学習すること、まぁ細かいことに気を使わないで言うと「神が作った何か」から学習することしかできなかったのに、機械という「ヒトの作った何か」から学習することができるようになった、と。

これって、つまり「ヒトがぐっと賢くなる可能性が大きく広がった」っていうことで、本当に素晴らしいことだと思う。「2001年宇宙の旅」でいうところのモノリス的な、ヒトの進化がすぐそこまで来ているんじゃないかな。

 

最後に、Ponanzaの作者の山本さんのこの記事はとても示唆に富んでいてお勧めです。

ponanza.hatenadiary.jp